本/映画

チャン・ジュナン監督『1987、ある闘いの真実』

2017年韓国
監督:チャン・ジュナン
百想芸術大賞:大賞、脚本賞、主演男優賞(キム・ユンソク)、助演男優賞(パク・ヒスン)

長い前置き 〜韓国について〜

韓国にはずっと関心がなかった <長い前置き①>

1987年というと、日本は歴史の中で一番豊かで暮らしやすい時期だったのかもしれない。(わからんけど。)いわゆるバブル期に突入していたから、すでに歯車が狂いはじめていたとも言えるが、国民のほとんどが中流意識を持ち、「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」を謳歌していたのではないだろうか。もっとも僕は、大学を出て働きはじめてはいたもののまだまだ給料は安かったから、「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」もバブルも実感することはなかったけれど。

お隣の韓国については、個人的にはつい最近までほとんど関心がなかった。子どもの頃はずっと朴正熙(パク・チョンヒ)軍事政権がつづいていて、そのこと自体あまり良い印象は持っていなかったし、彼の暗殺や金大中(キム・デジュン)事件にはさすがに驚かされたが、だからと言って事件の詳細やその後の成り行きに注目したわけではなかった。

最近は保守政党と革新政党が交互に政権を握っているようだなという漠然とした認識はあったけれど、相変わらず関心は持てないまま。韓流ドラマが日本で流行しても1本も観なかったし、サッカーW杯が日韓共催となってもとくに不満は抱かなかったし、韓国料理に舌鼓を打つこともなかった。要するに、誰が大統領かは知っているという程度の関心と知識しかない状態でずっときたのである。

少し違う感覚で韓国を意識し出したのは、日本国内での韓国差別が目立つようになってからだ。韓流ブームがあれだけ盛り上がったのに、その後、手のひらを返すように嫌韓ブームが広がった。韓流ブームが消えてなくなったわけではなく、今も両方が並存しているようだが、両極端のムーブメントがわずかの時間差で起こったから、何があったのかと好奇心が湧いた。だが、これはあくまでも日本人に対する興味であって、韓国そのものに関心を持ったわけではない。その後つづいた慰安婦問題などもその点では同じだった。

韓国という国とその国民を興味を持って見るようになったのは、たぶん1〜2年前から。決定的だったのは、朴槿恵(パク・クネ)大統領の罷免という劇的な成果をもたらした昨年の「ろうそくデモ」だ。200万人を超える国民が路上を埋めたと言われ、その写真をSNSやテレビニュースで何度も目にした。今調べてみたら、このデモは昨年10月末から今年3月まで、なんと23週連続で取り組まれたのだそうだ。その過程で12月9日に国会で弾劾決議案が可決され、今年3月10日には憲法裁判所によって大統領の罷免が正式に認められた。平和的な市民運動に多くの国民が参加し、見事に政治を変えたのである。

韓国ではそれまでにも大規模なデモが何度も開催されていたから、デモに対する意識が日本とずいぶん違うようだということは以前から感じていた。でも「ろうそくデモ」を見たとき、民主主義の成熟度合いにおいて日本は韓国に完全に負けているのだと痛感した。

そして、現在の文在寅(ムン・ジェイン)大統領。いろいろな巡り合わせがあったのも確かだろうが、政治家としての見識の高さ、行動力、人を動かす力が超一流であることは疑いがないと思う。国内の政局しか目に入っていないような日本の政治家たちとは大人と子どもほどの差がある。前任の朴槿恵は前時代的で無能としか言いようがないから、韓国の政治家を一概に評価するのは誤りだろうが、文在寅という有能な政治家が現れたのは、韓国の民主主義が成熟していたからだろうと僕は思っている。

韓国の独裁政治 <長い前置き②>

日本よりも国民の政治意識が高く民主主義が発達した国、というのが韓国についての今の僕の認識だけど、ごく最近まであまり関心がなかったから、どういう経過でそこにたどり着いたのかはよく知らなかった。

なので、ちょっと調べてみた。(主にWikipediaより)

朴正熙が軍事クーデター(5・16軍事クーデター)を起こして実権を握ったのが1961年。そこから90年代までの約30年間つづいた経済成長は「漢江の奇跡」と呼ばれ、世界最貧国だった韓国を先進国へと引き上げる道筋をつけた。その功績は大きいが、一方で彼の政権は事実上の軍事独裁政権であり、79年に側近によって暗殺されるまで、国民に対しては終始圧政で臨んだ。(二つ合わせて開発独裁と言うらしい。)

ちなみに、朴政権も形の上では自由主義国家の体裁を取っていた。だから、反政府運動が起こったり国政選挙で野党が躍進したりと、政権にとっての危機は何度もあった。その意味では完全な独裁体制とは言えなかったのかもしれない。しかし、そのたびに運動指導者の検挙や戒厳令の発動など強権を駆使して弾圧した。金大中事件を見てもわかるように、政敵に対しても平気で手荒なマネをしたらしい。また、マスメディアへの言論弾圧も強力に推し進めた。映画の台詞ひとつまで国の検閲が及んだというから相当なもんだ。

朴正熙は79年に暗殺されるが、これは敵対勢力によるクーデターではなく、どうやら私怨による殺人事件だったらしい。で、漁夫の利を得るように権力を握ったのが国軍保安司令官を務めていた全斗煥(チョン・ドゥファン)だった。朴正熙に重用された軍人が後を継いだわけだから、政権運営の方向が大きく変わるはずはなく、開発独裁を踏襲する。

全斗煥が大統領職にあったのは1980年から88年までで、ソウルオリンピック(1988年)の誘致に成功するなど、国際的なプレゼンスを着実に向上させている。だが、国内での強権政治も朴政権に勝るとも劣らぬ勢いで、戒厳令、逮捕、強制労働、軟禁などあらゆる手段を使って反政府運動を弾圧した。驚くことに野党政治家の金大中は軍法会議で死刑判決まで受けている(後に無期に減刑されアメリカへ出国、そしてその後無罪に)。

全斗煥が行った言論弾圧も強烈なものだった。在任中、テレビでは全政権批判は一切許されず、韓国標準時21時の「KBSニュース9」が必ず全斗煥賛美のニュースで開始されたため、テンジョンニュース等と揶揄されたという。

しかし、そうした強権政治に国民が完全に屈することはなかった。

1980年には光州事件が起こる。全羅南道の光州市で、大学を封鎖した戒厳軍と学生が衝突し、そこから多くの市民を巻き込んだ民衆蜂起へと発展した。戒厳軍が市民に銃を向け、光州市を封鎖。他の地域から隔離する一方で、政府は「スパイに扇動された暴徒」による暴動と発表し、マスコミにもそのように報道させた。鎮圧後も多くの韓国人は真相を知らずにいたらしいが、その後、文民政権が生まれると「五・一八民主化運動」として再評価され、今では光州は民主化運動の聖地とされている。…この事件を描いたのが映画『タクシー運転手』だ。

1987年 〜民主化運動の転機の年〜

そして、1987年。やっと…。

1月15日、ソウル大学校学生の朴鍾哲(パク・ジョンチョル)が警察による拷問で死亡する。当局はこれを隠蔽しようとしたが、情報がマスコミに漏れて発覚。厳しい報道統制下にあったにもかかわらず、マスコミが一斉にこの事件を報道し、国民の間に政権批判が高まった。

折しも全斗煥大統領の任期終了が近づき、大統領の直接選挙制を実現するための憲法改正を求める声が高まっていた。ところが全斗煥は4月13日、「今年度中の憲法改正論議の中止」と「現行憲法に基づく次期大統領の選出と政権移譲」を主旨とする「4・13護憲措置」を発表し、自らは退任するけれども次期大統領は現行どおり間接選挙で選出することを明らかにした。朴鍾哲拷問死事件と4・13護憲措置への反発から反政府運動は一気に盛り上がり、全国でデモが実行された。そして、その中で6月9日、延世大学校学生の李韓烈(イ・ハニョル)が戦闘警察の放った催涙弾の直撃を受け、後日死亡するという事件が発生する。

政府への不満と民主化を求める声がさらに高まり、6月26日には「国民平和大行進」が決行され、全国33都市と4郡で少なく見積もっても20万名以上(警察発表は5万8千名、国民運動本部の推算では180万名)が参加。これを受けて政府与党は「6・29宣言」を発表し、大統領の直接選挙制会見を行うことと、金大中の赦免・復権など民主化措置を実行することを表明するに至った。(「六月民主抗争」と呼ばれているらしい。)

韓国の民主化にとって大きな転機となった朴鍾哲拷問死事件から六月民主抗争までを描いたのが、この『1987、ある闘いの真実』という映画だ。韓国の民主化運動にとって、大きな悲劇と大きな勇気と大きな前進が凝縮された1年だったのだ。

諸悪の根源は“独裁政治”なんだと思う

「反共」政権が共産政権と同じことをしている

前置きがあまりに長くなってしまったので、映画の中身について書く気力はなくなってしまった。だから、強く感じたことだけ。

主に描かれているのは、朴鍾哲拷問死事件についての当局側の隠蔽工作とマスコミによるスクープの様子なのだが、印象的なのは、弾圧する側にスポットを当てていることだ。実際、この映画の主人公は(昔の日本で言えば特高警察の親玉に当たる)パク所長(キム・ユンソク)である。

大統領と直接つながっていて、司法でさえ黙らせることができるような無敵の権力者。

(事実に基づいているのかもしれないが)面白いのは、パク所長が脱北者という設定になっていることだ。子どもの頃、共産主義者に家族を皆殺しにされた過去を持ち、一人韓国に逃れ、今は反政府運動に関わった者の摘発に命をかけている。彼にとって、そして政権側の多くもそうだろうが、反政府=共産主義なのであり、(おそらく)反政府=北のスパイなのだ。

しかし、彼らがやっていることは、結局のところ北で共産党政権がやっていることと瓜二つだった。自分たちに従わない者を有無を言わせず弾圧しているだけだ。疑わしいというだけで拘束し、拷問し、死に至らしめることもいとわない。なんと言っていたか忘れたが、あいさつ代わりに白々しいお題目(「忠誠」とかなんとか、そんな言葉だったと思う)を交わすのも共産主義国を彷彿とさせて、笑えるほどだった。

この映画の作り手たちがそこまで意識していたのかどうかはわからないが、共産党だから市民を弾圧するのでもなければ、共産党だから言論統制をするのでもないということだ。当時の全斗煥政権は、これ以上ないと言えるほどの「反共」政権である。要は共産主義であろうとなかろうと、独裁政治というものが国民の人権を奪い、報道を統制するのだ。

この映画も秘密裏に作られた

最後にもう一つはっとさせられたことがある。この映画に描かれたことはけっして過去のできごととは言えなかったのだ。

チャン・ジュナン監督によると、1987年が韓国の民主化にとって大きなターニングポイントとなったのに、これまで映画や小説はもちろん歴史学の分野でもあまり語られることはなかったのだという。だから、この作品を作ろうと考えたと。

しかし、製作をはじめたときは保守的な朴槿恵政権下で、政権の意に沿わないコンテンツに対しては、また弾圧が加えらるようになっていた。あの時代と同じとは言わないが、時計の針が逆戻りしていたのだ。当初は公開できる保証もなく、完成できるかどうかさえわからない状態だったから、準備は秘密裏に進めなければならなかった。当事者たちへの取材でさえ、噂が広まることを考えると控えざるを得なかった。つまり、ろうそく革命によって政権交代が実現していなかったら、この映画が世に出ることはなかったかもしれないということだ。

日本はどうなのだろう。

日本だったらそういう不安はなかったのだろうか。日本のほうが健全な民主主義国家なのか?

政府による介入の可能性という点では、もしかしたらそうかもしれないと思う。朴槿恵政権に比べたらね。でも、資金が集まらなかったり、出演辞退が相次いだり、SNSその他で露骨に非難されたりといった形での困難は、日本のほうが圧倒的に多そうな気がする。これは妄想の部類になるけれど、政府による弾圧より、反政府的な内容に対するウヨク界隈からの攻撃といろいろな方面での忖度のほうが、大きな壁となって立ちはだかるというイメージが容易に湧いてしまうのだ。残念だけど。

(2018年9月16日KBCシネマにて鑑賞)

追記2018年11月1日
ちょっと長文だけど、この映画に触れながら韓国における民主化の歴史を教えてくれる文章があったのでリンクを張っておく。1987年の後も一直線に民主化が進んだわけではないことがよくわかる。と言うより、韓国は今も大きな振幅の途上にあるのだ。またすぐに反動的な政権が誕生するかもしれない。しかし、だからこそ、この映画や『タクシー運転手 約束は海を超えて』が朴槿恵政権の暴政の中で作られたという事実が胸に迫る。