われおもうに

安田純平氏の解放と「自己責任」バッシング

「自己責任」バッシングと反バッシングの声

シリアで武装勢力の人質となっていたジャーナリストの安田純平氏が40カ月ぶりに解放され、帰国した。23日の深夜に菅官房長官が緊急記者会見を開いて解放を発表し、25日の夕方、安田氏は比較的元気な様子で羽田空港に到着した。解放にはトルコとカタールの協力があったと報道されているが、まだ詳細はわからない。

やはり湧き上がったバッシング

生きているという情報は入ってきていたが、拘束中に何度か公開された映像は状況がだんだん悪化していることを物語っていた。氏が拘束される直前には二人の日本人がISに殺害されていたから、予断を許さない状態が続いていた。そんな中での突然の解放だったから、官房長官の会見はテレビで速報され、ツイッターでもすぐに驚きと祝福のコメントが流れてきた。が、同時に多くの人が危惧したように「自己責任」だと責め立てる声も湧き上がった。バッシングの主な内容はだいたい次のようなものだ。

  1. 外務省が退避勧告を出し渡航の自粛を求めていた地域に自らの意思で入って拘束されたのだから、責任は本人にある。政府には救出する義務もなければ身代金を出す義務もない。
  2. もし身代金を支払えば、犯行グループはそのお金で新たな犯罪を犯す。一人を助けることで多数の被害者を生む。
  3. 安田氏自身がかねてから自己責任で行くと言っていたし、また反政府的な発言をくり返していた。この期に及んで政府に頼るな。
  4. 政府の勧告を無視した人間に国民の税金を使うな。

要するに、政府の言うことを聞かなかったんだから自業自得だと言い立て、それなのに解放にいたる過程で金銭面も含め「政府に迷惑をかけた」と糾弾しているわけだ。さすがに死ねば良かったと明言する者はごくわずかだったようだが、そこまでは言わなくても、憎悪を露わにして「謝罪」を求める声をよく見かけた。迷惑をかけたことに対し政府へ、そして国民全体へ謝罪しろと言うのだ。

まるで戦時中の隣組のようだと思った。
あるいは政府の親衛隊?

政府と完全に同化したつもりになって、政府に成り代わって、と同時におそらく虎の威を借りて人を断罪する。たしかに今の政府は同じ考えのようだが、それはたまたまであって、少なくとも戦後の多くの時期はそうではなかったと思うのだが。

くり返されてきたバッシング

「自己責任」バッシングの最初の記憶は、2004年に発生したイラクでの邦人3名の人質事件のときのものだ。一人はフリーカメラマン、一人は劣化ウラン弾に関心を持つ19歳の青年、一人は現地で支援活動をしていたボランティア活動家だったが、被害者であったはずの彼らに対しあちこちから容赦のない非難が浴びせられ、政治家からも同様の声が上がった。今後も活動を続けたいと言った高遠菜穂子氏に対し当時の小泉純一郎首相は「寝食忘れて救出に尽くしたのに、よくもそんなことが言えるな」と激昂したというし、当時官房長官だった安倍晋三現首相は会見で「山の遭難では救出費用を遭難者に請求することもある」と言ったそうだ。
(lite-ra.com2018年10月25日、2018年7月12日より)

その後も同様の事件が起こるたびにバッシングはくり返された。2015年1月に後藤健二、湯川遥菜の両氏が殺害されたときでさえ同じだった。ほとんど犯罪者扱いだった。

個人的には、湯川氏に対しては「なんだ、コイツ」という気持ちはある。逆に後藤氏は日本の宝と言いたいくらい、ジャーナリストとしても人としても素晴らしい人だったと思う。だから後藤氏だけはなんとしても…という気持ちがなかったわけではない。でも、こうやって人を選別する発想が自己責任バッシングの根底にあるんだよなあと思う。おそらく僕も根本的な部分では同類なのだ。理性を働かせて冷静に考えたとき、初めてその恐ろしさがわかる。国がその選別をやり始めたらどうなるか…。

バッシングへの反論も根気強く発信された

これまでもバッシングの声が上がるたびに反論がなされてきたが、今回はいつにも増して多くの人々が反バッシングの声を上げたという印象を受けた。マスコミ界はもちろん、社会活動家や一般の人々もツイッターなどを通じて根気強く発信を重ねていた。論旨は大きく言って次の二つだった。

  1. 自国民の生命保護は国家の責務。救う対象を選別するという発想自体がおかしい。
  2. 危険を冒して報道するジャーナリストがいるから真実がわかる。どれだけ危険かということも、ジャーナリストが現地から報告することで初めてわかる。そうやって真実が世界に知られて初めて世界が関心を持ち、それが行動を生んで救われる命がある。

何よりもこれらの発信者に共通していたのは、まずは無事に帰ってこられて良かったじゃないかという安堵と祝福の気持ちだった。そして、まさにそうつぶやいて話題になったのがメジャーリーガーのダルビッシュ有氏だった。彼は噛みついてくるバッシング側の言いがかりにも丁寧にレスを返して反論し、その知性と問題意識の高さがさらに絶賛された。たとえば論旨②については、ルワンダの大虐殺を例に挙げたり、しりあがり寿の4コマ漫画(右画像——朝日新聞夕刊)をリツイートで紹介したりして熱心に語りかけた。

新聞労連もいち早く声明を出しているし、驚いたことに産経新聞までもが自己責任論を戒める社説を掲載した。ただし、産経のほうは政府がいかに手を尽くしたかに重点があって、ご丁寧にバッシング内容②も説いている。しかし、「危険を承知で現地に足を踏み入れたのだから自己責任であるとし、救出の必要性に疑問をはさむのは誤りである。理由の如何(いかん)を問わず、国は自国民の安全や保護に責任を持つ」とはっきり言い切っていた。
(産経新聞2018年10月25日)

安田氏の反政府的な発言について

再びバッシング側の話に戻るが、安田氏がシリアへ出発する直前に投稿した以下のツイートに言及しての攻撃も多かった。

まず2015年4月2日の最初のツイート(1番下)。この時点で「自己責任」をめぐるやりとりがかなり激しく交わされていたことをうかがわせる文章だが、最後の「私は自己責任について否定したことは一度もありません」を取り上げて、本人もこう言っていると揶揄する輩が何人もいた。

4月2日の2つ目のツイート(下から2番目)は安田氏の反政府的(ウヨク用語を使えば反日的)発言としてあちこちで言及された。このように政府を罵倒する人間をなぜ国が助けなければならないのか、という攻撃だ。だが読めば分かるように、これは政府による執拗な妨害行為に対する悲鳴のようなものだ。「パスポート没収」をされたらシリアに行くどころか日本から一歩も出られなくなるわけだし、そのうえ「家族や職場に嫌がらせ」をされれば誰だって悪態の一つもつきたくなるだろう。そんなことをする権利は誰にもないはずだ。

そして、4月6日の2番目のツイート(1番上)は問題の核心を突いた発言だと言える。まさに「政府が自由自在に渡航制限」できていいのかという問題だ。下手をすれば、政府にとって都合の悪い所へ国民を行かせないというコントロールが可能になってしまう。極端な話、政府が国外のどこかで違法行為をして、そこへの渡航を禁止すれば、いつまでもそれが発覚しないということもありうるのだ。

分断?…ルールの違う闘い

政府の言うことを聞く者(=権力に従順な者)だけが良き国民?

今回の安田純平氏をめぐる自己責任騒動は、日本人の間に存在する「分断」の一つを見事に浮き彫りにしていると思う。けっして多数派ではないと思いたいのだが、一定の数の国民が、“政府の言うことを聞く者(=権力に従順な者)だけが良き国民で、それ以外は排斥されるべき”だと考えているようだ。権力に従順かどうかで人の善悪を判断する。いわゆる「お上」意識と表裏を成しているものだろう。おそらく昔からある価値観で、戦時中はこれがどんよりと重く日本中を覆っていたのではないかと思う。そして今、この価値観を持つ人々が再び勢いに乗り、攻撃的になっている。戦時中と似た状況になっている。

一方で、そうは考えない人々が少なからずいる。反バッシングの立場に立った人々だ。こちら側の人は、単に政府の指示に従わなかったというだけで断罪するのはおかしいと考える。ただしこの人たちが「自己責任」を否定しているわけではないと思う。当事者としての個人の責任はある。そして安田氏はその責任を十分に負ったと考えているだけだ。あるいは他人がとやかく言うべきものではないと考えているだけだ。政府がやるべきことはそれとは関係なくある。そして、「政府に迷惑をかける」という考え方はしない。

しかしこの立場を表明すると、途端に「反日」攻撃を受ける。議論ではなく攻撃。相手を説得するというより、いきなり襲いかかって排除しようとしているように見える。

排除の論理

僕が勝手に思っているだけかもしれないが、もともと自己責任論者は“政府の言うことを聞く者(=権力に従順な者)だけが良き国民”だと考えているだけではなく、“それ以外は排斥されるべき”だという排除の論理をも内在化しているからこうなるのではなかろうか。

反自己責任論者が排除の論理を持っていないと言えるかどうかはわからないが、漠然とした印象としては、自己責任論者ほど強い意識はないように感じる。速い話、権力に従順な人に「この国から出て行け」とは言わないわけで。排除あるいは攻撃をするとすれば、おかしな事をする権力者に対してだろう。

だからこの両者は、意見の違いを対等の立場で論じ合っているようには見えない。ルールの違う闘いをしているというか、サッカー選手とラグビー選手が戦っているような違和感がある。まあ、「権力」に対する認識が違うんだからね。そうなるか。でも、アメリカで起こっていると言われる「分断」とは微妙に違うような気がするのだが、どうだろう。同じか?

よくわからんな。

※2018/11/05 最後の項目についてかなり書き換え、見出しも変更した。
※2018/11/10 目次のプラグイン導入にともない、見出しを少し変更。