本/映画

マイケル・ムーア監督『華氏119』

2018年 アメリカ
監督:マイケル・ムーア(MICHAEL MOORE)
原題:FAHRENHEIT 11/9

タイトルの由来は直接的にはムーアの前作『華氏911』だが、その前作のタイトルはレイ・ブラッドベリのSF小説『華氏451度』(1953年)をもじったものだった。

華氏451度は紙が燃えはじめる温度のことで、本が忌むべき禁制品となった未来を舞台としたディストピア小説。情報は全てテレビやラジオによる画像や音声などの感覚的なものばかりとなり、表面上は穏やかな社会だが、人々は思考力も記憶力もない愚民になっていたという話。(Wikipediaより)

トランプを笑い飛ばす映画かと思ったら、違った。

『華氏451度』的な知識しか持っていなかったので

マイケル・ムーアの名前も前作『華氏911』が話題になったことも知っていたが、これまで彼の作品を観たことはなかった。テレビで断片的に紹介される情報が記憶にあっただけ。つまり『華氏451度』のレベル。ちなみに911はカンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを獲得し、ドキュメンタリー映画としては史上最高の興行成績を上げたとのこと。こういう情報もたぶん見聞きしたことはあるのだろうが、記憶からは完全に抜け落ちていた。まさに451的。

とはいえ、けっしてムーアのことをバカにしていたわけではない。社会派ドキュメンタリー監督という認識はあったし、辛辣だけれど鋭い政治的発言を続けていることに敬意を抱いていた。でも、あの容姿で過激な発言&行動をする絵はどこか笑いを誘うものがある。

だから、笑わせてもらえるものと思って観に行ったのだ。

出るのは失笑ばかり…でも面白い。

でも違った。
それはオープニングですぐにわかる。明るく軽快な音楽に乗って映し出されたのは、一昨年の大統領選の投票日、ヒラリー・クリントン当選の報を今か今かと待ちわびる人々の姿だった。祝賀パーティの準備が進む巨大な会場、詰めかけた支持者たちのノリノリの笑顔、女性大統領が生まれることに感極まって涙する年配女性…。その後どうなったかを観客はみな知っているから、ザワザワしながらその底抜けに明るい映像を見守ることになる。

最高にハイテンションなシーンで始まるこの映画だが、そのあと全編で展開されるのは、なぜヒラリーが負けトランプが勝ったのかの検証だ。通り一遍の動向分析ではない。露わになるのは隘路に入り込んでしまった民主主義。発達した資本主義がアメリカの政治にもたらしたものと言ってもいい。

内容はてんこ盛り。最初から最後までマシンガンのように映像が叩きつけられ、ムーアの皮肉混じりで早口のナレーションは(声はいいし落ち着いてはいるが)ほとんどアジテーションのようだ。画面転換が速いから字幕を追うのも大変で、付いていくので精一杯。しかも一般のドキュメンタリーとは違って、理解を助けてくれるような丁寧な説明はほとんどない。でも、そこが彼の手腕なのだろう、どんどん吸い込まれていく。あれだけのボリュームの情報を投げつけられても疲れることはないし、細かい部分がわからなくても不思議と言いたい事は伝わってくる。音楽の使い方も実に巧みだ。笑えるところはそんなになくて、途中で何カ所かクスッと失笑が出るだけだけど、(トランプを人格的に崇拝している人なら話は別だが)とにかくスクリーンに釘付けになる。面白い。

ムーアの怒り

アメリカはリベラリストの国である。なのに…

正確な言葉は覚えていないが、「アメリカ人の大多数はリベラルな考え方を持っている。アメリカはリベラリストの国なのだ」とムーア自身が言っている。彼の主張の土台にこの認識がある。彼は、右派が多数派を占める国に革命を起こそうとしているわけではなく、リベラルなアメリカ人のほうが多いのだから、政治もそれに従うべきだと言っているだけなのである。

スクリーンに次々と世論調査の結果が映し出される。
細かい数字は覚えていないけれど、たとえば7割以上のアメリカ人は銃を持っていない。もっと拮抗しているのかと思ったらぜんぜん違った。銃を持ち続けたいと思う人が力を持っているというだけだ。トランプが毛嫌いする国民皆保険には6割以上が賛成している。日本人から見ても極論のように思える公立大学の無償化にも6割以上が賛成。公立でも4年間で1,000万円以上の費用がかかり、卒業時に数百万円のローンを抱える若者がざらにいるというから、考えてみれば当然だ。ウォールストリートに規制を加えることに(たしか)半数以上が賛成しているという事実にも驚いた。その他、LGBTにも多くのアメリカ人が寛容であることなどが示される。中には民主党の中でも賛否が分かれる左寄りの政策もあるはずだが、これらこそがアメリカの多数派の意見なのだ。

大統領候補の中でこの多数派にもっとも近い政策を打ち出していたのはバーニー・サンダースだったはずだ。しかしサンダースは民主党の予備選でヒラリー・クリントンに敗れ、ヒラリーは本選で真逆の政策を持つ共和党のトランプに敗れた。このことにムーアは怒っているのであり、危機感を募らせているのだ。

経営者に政治をさせると…

企業経営者から突然転身して大統領の座を射止めたトランプ。だが、同じようなことが地方政治の場でも起こっていた。たとえばムーアの故郷であるミシガン州では、PCメーカー・ゲートウェイの元会長である共和党のリック・スナイダーが知事に就任し、「企業を経営するように州を運営」していた。

彼が経営者感覚で行ったのは、たとえばフリント市の水道の民営化だった。(細かいことは省略するが)その結果、水源が湖から川に変更され、水道管が安価な鉛管に切り替えられた。水道から出る水は茶色く濁り、その中に有害な鉛が溶出していることがのちに分かる。鉛中毒による深刻な健康被害が起こり、死者まで出た。公害である。しかし行政当局は調査結果の改ざん、隠蔽を続け、水質は「連邦の基準内」だと強弁する。

いわゆる「ラストベルト」と呼ばれる衰退の激しい地域だから、財政の逼迫も想像を超えるものがあるのかもしれない。だが、起業家に政治をさせても結局こういうことしかできない。

民主党もダメ!

オバマも同じ穴のムジナだった。

フリントの水道の話には続きがあった。この問題の解決のために当時まだ大統領だったオバマがフリントにやってきたのだ。市民は期待を持ってその一挙手一投足を見守った。しかし彼は何もせず、結果として水道の安全宣言をして帰って行った。映画はこのときの市民たちの失望も映し出している。あれほど光り輝いて見えたオバマが経営者知事の肩を持つとは…。

compromise(?)

民主党は政治的妥協をしすぎたとムーアは批判する。——映画の中で実際に使われた言葉がcompromiseだったかconcessionだったか記憶が怪しい。字幕に出た訳語も「譲歩」だったか「妥協」だったかはっきりしないが、たぶん《compromise/譲歩》だったんじゃないかと思う。

 compromise:妥協、和解、歩み寄り、折衷(せつちゆう)案、折衷物
(weblio)

民主党はリベラル色が強くなりすぎるのを避け、中道で穏健な路線を取ってきた。それはより多くの支持者を集めて選挙に勝つための大人の戦略だったのだろうが、市民の側から見ると、肝心なところで譲歩/妥協を続けた結果、共和党と見分けのつかない存在になってしまったのではないか。実際のところヒラリー・クリントンはウォールストリートやシリコンバレーの大企業から莫大な額の献金を受けている。中道的な政策を掲げることで産業界の信用を取り付けることには成功したが、一方で一般市民からは遠い存在となってしまったのだ。オバマの行動と市民の失望はこのことを典型的に表しているのだろう。

民主党の非民主性

(何かのインタビューの中でだったと思うが)候補者がバーニー・サンダースだったら、(大統領選の勝敗を決したと言われる)ラストベルトは民主党が勝てたとムーアは言っている。そしてこの映画は、いくつもの州の予備選で、一般党員の投票ではサンダースがクリントンを上回ったにもかかわらず、クリントンが代議員を獲得したことを暴露している。不正というわけではなく、「スーパー代議員」制というちょっと複雑なルールの成せる技らしい。要するに、その州の党の有力者がどちらにつくかによって結果ががらりと変わってしまうのである。おそらく「勝てる候補」という判断が加わったのだろうが、これも大きな「譲歩」だった。そして一般党員の民意から乖離した、非民主的な決定だった。

その結果、何が起こったか。予備選でサンダースを支持した人たちが本選を棄権したのだ。

1億人が投票しなかったという事実

先の大統領選は投票率が史上最低の55%だった。クリントンの得票が6,600万票、トランプが6,300万票。この逆転現象は大統領選の古い選挙制度に原因があり、これも問題だが、ムーアがそれよりも問題視しているのは、投票しなかった国民が1億人もいるということだった。その中には多くのサンダース支持者、つまり民主党支持者が含まれている。そしてその結果、漁夫の利を得たトランプが当選してしまったのである。

(民意を正確に反映しない選挙制度と)支持者の意向から乖離する民主党。そう、ムーアはトランプと同じくらいに民主党に対しても痛烈な批判を浴びせているのである。

ムーアが見出した3つの希望

アメリカの社会と政治の悲惨な状況を糾弾するのに平行して、ムーアは3つの事例を取り上げている。日本でもよく「マイナスをプラスへ」という言葉を政治家が口にするが、彼らは現実から目をそらそうとしているだけなのに対し、3つの事例は、とんでもないマイナスの現実に対してまさに市民が声を上げ立ち向かう姿だ。

立候補する当事者たち

先日の中間選挙で民主党から立候補した3人の下院議員候補。ニューヨーク州のアレクサンドリア・オカシオ=コルテス、ミシガン州のラシダ・トリーブ、ウェストヴァージニア州のリチャード・オジェダ。

コルテスはプエルトリコ系の28歳の女性。彼女はバーニー・サンダースの選挙スタッフの経験を持ち、サンダースの政策を継承するリベラル左派。ウェイトレスとして働きながら予備選を戦い、当選10期を誇る有力な現職議員を破って話題になった。そして先日の本選で当選し史上最年少の女性下院議員となった。

トリーブはパレスチナ系の女性。トランプの演説会場で抗議の声を上げてつまみ出された経験を持つ。彼女も先日の中間選挙で当選を果たし、パレスチナ系としてもムスリムとしても初の女性下院議員となった。

オジェダは元軍人の白人男性。ウェストヴァージニア州は石炭産業で栄えたが、ラストベルト同様、その後廃れて失業者があふれる地域だ。オジェダは前回大統領選ではトランプに期待し投票したが、トランプは何もしなかった。だから白人労働者の土地を自ら生き返らせることを目ざして立候補した。(当落は9日の時点でわからなかった。)

前二者は人種的にも性別的にもマイノリティ、オジェダは忘れ去られた人々(白人労働者階級)の代表だ。従来の「譲歩」する民主党に飽き足らず、自ら当事者として政治に挑戦する。そんな人々の「行動」にムーアは光明を見る。

教師たちのストライキ

ウェストヴァージニア州の公立学校の教師たちがストライキを敢行した。彼らの待遇は公的支援を受ける教師もいるほど悲惨だったらしい。だが、自分たちの待遇だけの問題ではなかった。共和党の知事や同党が勢力を握る州議会が教育費を削減し、教育環境全般が劣化していたのだ。つまり公教育を守るための闘いだったのである。

公務員のストライキは違法で、解雇や投獄の恐れもあったという。リスクの大きさを考え、組合幹部(?)はストを回避させようと説得する。それを押し切っての断行だった。一つの郡から始まった運動は全州に広がり、やがて他の州にも波及した。9日間に及ぶストの末、彼らは待遇改善を勝ち取る。ここにもリスクを取って立ち上がり「行動」した当事者たちがいた。

高校生たちの銃規制運動

この映画のラストは、日本でも有名になった高校生のスピーチだ。

2018年2月14日、フロリダ州パークランドのマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で銃乱射事件が起こり、生徒と教職員17名の命が奪われた。それを受けて3月24日、同校の生徒たちを中心に「私たちの命のための行進(March For Our Lives)」と銘打った銃規制を求めるデモ行進が行われ、ワシントンDCでは80万人が参加して街路を埋め尽くした。

そこで同校のエマ・ゴンザレスさんが行ったスピーチ。
亡くなった学友一人ひとりについて涙を堪えながら話したあとの突然の沈黙。6分20秒間。犯人がライフル銃を撃ち続けた時間だった。その短い時間の間に17人の命が奪われたのだ。

長くなるけれどハフィントンポストの記事も引用しておく。これほど胸に迫る演説はないから。

この日、彼女は「6分と約20秒。この6分ちょっとの時間に、17人の友の命が奪われました」とスピーチを始めた。そして、事件で亡くなった17人、ひとりひとりの名前を読み上げた後、沈黙した。
あまりにも突然、まったく予期せぬ形で、被害を受けた17人の犠牲者たち。
彼らは、それまで当たり前のようにしていたことが「二度と」できない。
「友人のカーメンは、もう二度と、ピアノの練習をしたくないと愚痴ることはない」
「アレックスは、彼の兄弟のライアンと一緒に登校することはない」
「スコットはキャンプでキャメロンと冗談を言い合ってじゃれることはない」
二度とできない。もう二度と…。
ゴンザレスさんは17人の名前を全て読み上げた後、急に沈黙した。
語ることをやめ、前をしっかりと見つめる。
その頬を涙がつたった。

沈黙が長引くにつれ、聴衆に戸惑いが生じてきた。「一体何が起きてるのだろう」
にわかに「Never again(二度と起こしてはならない)」のコールと手拍子が巻き起こる。
しかし、彼女はそれでも口を開かない。
「何が起きてるんだろう…」。会場も再び静けさを取り戻す。

あまりにも長い沈黙。緊迫感が最高潮に達した時。
「ピピピ……」
タイマーのアラームが鳴り響いた。

「私がここに出てきてから、6分20秒が経ちました」
17人の命が奪われた時間。耐えがたいその重みを、ゴンザレスさんは「沈黙」で伝えた。
そして、彼女が次のようにスピーチを締めくくると、聴衆からは割れんばかりの歓声が上がった。
「どうか、自分の人生のために闘ってください。それが他人の手に委ねられる前に」

(Huffingtonpost 2018年3月26日)

悲惨な体験からわずか38日後に、当事者である高校生たちが呼びかけた抗議行動に80万人が呼応した。しかもこのデモはワシントンDCだけでなく全米で実施されたから、おそらく100万人規模の参加があったのではなかろうか。ここにも大人たちが変えられなかった現実に自ら声を上げ「行動」した当事者たちがいる。しかも高校生だ。

彼らの行動はこれだけではなかった。デモはこの他にもやっているし、全米の高校生に呼びかけた17分間の授業ボイコットも成功させた。NRA(全米ライフル協会)が共和党議員に多額の政治献金をしていることを問題視してVote Them Out(銃規制に反対する政治家の落選運動)を訴え、政治家・NRAとの公開討論までしている。そして早くも収穫を手にしている。たとえばそれまで18歳以上に認められていた銃の所有が21歳以上へ引き上げられた。

高校生たちの「行動」が世の中を動かしたのである。

トランプ大統領を誕生させてしまったアメリカ

トランプについて何も書かないうちにえらい長文になってしまった。それだけてんこ盛りの映画だということだ。

最初は冗談だった?…笑えねー

トランプの大統領選出馬は、最初は冗談というか趣味の悪いおふざけだったという話。正直笑えない。面倒なので、以上。

トランプはヒトラーか?

最終盤でヒトラーの映像が出てくる。演説するヒトラー。だが声はトランプ。ぴったりハマる。たしかにマイノリティへの差別意識とか移民への非人道的な対応はナチスを彷彿とさせるものがある。法や常識を軽視する性癖も共通と言えるかもしれない。

トランプはヒトラーに似ている。危険な男だ。
しかし、ではトランプさえ倒すことができれば危険は消え去るのか?
ムーアはそうは思っていない。

アメリカは世界でもっとも民主的な国だと信じられているし、トランプも民主的に選ばれた大統領だ。しかしヒトラーだって、ワイマール憲法という当時もっとも民主的だと言われた憲法の元で、選挙に勝って政権を獲得したのだ。議会では過半数に満たない不安定な政権だった。ところが非常事態をでっち上げて緊急事態条項を発動し、あっという間にその憲法を骨抜きにして独裁を確立してしまった。

しかし、ヒトラーのそのような無法で強引な行動を見ても、みんな何も言わなかった。「そんなにヒドいことをするはずがない」と思おうとしていたのである。当時のマスコミはもちろん、ユダヤ系の人たちでさえも同じ反応を示した。ムーアは当時の新聞紙面などでそれを証明する。正常性バイアスというやつだろうか。そう言えばトランプが当選したときも、極端な言動は選挙用で、いざ大統領になったらマトモになるんじゃないかと言われていた。

優れた制度もかんたんに崩れ去るし、人間はなかなか危機を危機として認識できない。ムーアはこの点をこそ強調したいのだと思う。

今のままでいいのか?

つまりムーアは、トランプの悪政とか悪魔性をどうのこうの言いたいわけではなく、トランプを当選させてしまった今のアメリカってヤバいぞと言いたいのだと思う。トランプの言うことは無茶苦茶だし、アメリカ国民の多数派はそれとは違うリベラルな考え方を持っているのに、なんで彼が大統領なんだ、と。

そもそも1億人もの国民が大統領選に投票しなかったからこうなった。

その背景には、勝つために「譲歩」する民主党の政治姿勢への失望もある。
譲歩をくり返すうちに、支持者の実際の要望から乖離した政党になってしまった。

ムーアが希望を見出したのは、既存政党や旧来の制度・習わしからはみ出して、自らの問題意識に従い、自らの頭で考え、自ら行動を起こす若者たち。そのパワーはすごい。すでに行動は始まっているし、アメリカが変わり始めていることは間違いないと思う。どこまで変われるのかは分からないけれど。それと、制度的な問題も放置していてはいけないと思うけれど。

翻って日本のことを考えると…。
深入りはしないけれど、デモとか労組とか政治を頭からシャットアウトしてしまうこの気質って、なんなんだろう。昔から?この映画を観て、その点がアメリカ人と決定的に違うと感じたんだけれど。

(2018年11月7日KBCシネマにて鑑賞)