本/映画

大岡昇平『俘虜記』

凄惨な体験記かと思いきや

凄惨な捕虜生活の体験記だろうと思って読み始めたら、まったく違った。そんな薄っぺらな想像を大きく超越した作品だった。

「あめりかの恵み尊しかくばかり 肥えしことはいまだあらなく」(P232)

これは同じ収容所にいた捕虜仲間が詠んだ歌。日本人の捕虜たちは、兵士として戦っていたときはもちろん、おそらく当時の日本人の誰と比べても豊富な食料を与えられ、皆かつてないほど肥え太っていたのである。アメリカ軍は捕虜に対して残忍な扱いをするどころか、国際協定に従って十分すぎるほどの食事を与え、衣服を支給し、病人や負傷者には手厚い治療を施した。雨露もしのげるし、労働には対価まで支払われる。もちろん暴力もいっさいない。肉体的にも精神的にも、米軍から苦痛を与えられることはほとんどなかったのである。それに何よりアメリカ人は捕虜を人として扱った。捕虜たちは驚くほかなかった。しかも、もはや兵士ではないから死の恐怖もない。

命と衣食住を保障された毎日。それまでの兵士としての日々と真逆のものと言ってよかった。しかしその先に何が待っているのかは分からない。その不安定さの中で、捕虜たちは太り、虚脱し、堕落していく。

絶妙な舞台設定 〜「捕虜」+「帝大出のインテリ」〜

限りなくノンフィクションに近いフィクション?

あとがきには「俘虜収容所の事実を藉(か)りて、占領下の社会を風刺する」つもりだったとある。ノンフィクションと言い切ることはできないのかもしれない。しかし、巻末に実際の行軍記録(と思われるもの)が添えられていて、本文との間に矛盾はなさそうだった。少なくとも捕まるまでの記述は事実に基づいているのだろうと思う。捕虜になってからのことは行軍記録にはないから、ある程度デフォルメされているのかもしれないが。

主人公は京都帝大を出たサラリーマンで1909年生まれ。名前も大岡で、著者と一致する。終戦前年、敗色も濃くなってから召集され戦地に送られる。二等兵(のち一等兵)。大雑把な流れを時系列で示すと次の通り。

1944(昭和19)年  3月 補充兵として召集される。35歳。
 わずか3カ月の教育のあとフィリピンへ。
7月 フィリピン・ミンドロ島警備に着任。
12月 マラリア罹患
 米軍がミンドロ島上陸→山中での敗走生活
1945(昭和20)年  1月 米軍捕虜に。
 野戦病院、捕虜専用病院でマラリア治療を受け、
 最終的にレイテ島の捕虜収容所に収容される。
11月 帰還

「捕虜」+「インテリ」

当時としては最高の教育を受け、社会人としても十年以上のキャリアを積んだ中年インテリが、一兵卒として戦い、捕虜となって収容所生活を経験する。十九二十歳の若造ではないから、直情で動くようなことはない。皇国史観を盲信してもいない。「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」(戦陣訓)を真に受けてもいない。しかし、けっして厭戦的なわけでもなければ、軍や上司に対して反抗的なわけでもない。死を覚悟して、自分にできる最善のことをしている。年齢と教養に応じた冷静さを持っているというだけのことだ。その醒めた目で戦況や周囲の人々を見る。

従軍中の兵士と捕虜とでは当然さまざまな違いがあるが、上下関係も大きな違いの一つ。軍隊を支配していた階級による上下関係は収容所には存在しない。将校は別の場所に隔離されているうえ、兵士たちの収容所内での役職は階級とは関係なしに決められる。それでも日本軍のダメな部分はおそらくすべてと言っていいほど露呈するのだから面白い。この作品の設定の妙がここにある。軍隊組織から半歩はみ出したところだからこそ、その本当の姿がよく見える。それを軍隊の中では珍しい知的な人間が冷静な目で観察する。そして思考する。

リアルな日常

私は自分の物語があまりにも小説的になるのを懼れる。俘虜の生活など無意味な行為に充ちているものである。そういう行為にいちいち意味をつけて物語るのは、却って真実のイリュージョンを破壊する所以ではあるまいか。
(P217〜218)

著者(主人公)の教養は随所ににじみ出るが、上から目線で物事を断定したり批判したり断罪したりすることはけっしてない。主人公が感情を露わにしたり自己主張をすることさえほとんどないくらいだ。それは上記のような姿勢を貫いているからだろう。事実を語ることに徹し、無用な解釈、意味づけはしない。著者(主人公)のフィルターを排除することで、自己卑下でもなく、自己正当化でもなく、ニヒリズムでもない、透明でリアルな日常が現れているのだ。

日本人(軍)というやつは

ところがそうやって描き出された日本人捕虜たちはとんでもないダメ人間ばかり。呆れるばかりだ。

阿諛(あゆ)

阿諛という言葉を僕はこの本で初めて知ったのだが、とにかくあちこちに出てくる。たとえばこんな具合だ。「中川は十六師団野砲の軍曹で、ただイマモロ(日本人収容所長今本のこと)に対する阿諛によって大隊書記の職にかじりついているにすぎなかった」(P296)。意味は「おもねりへつらうこと。おべっか。」主人公はこの性質を軽蔑しているが、日本の軍人の間ではこれが必須のスキルであるかのようだ。少しでも良い条件を手に入れようと上司に媚びる。上司は上司で阿諛する部下を重用する。「なんだ、これは」と言いたくなるくらいだ。

特権/役得の濫用

あまり詳しい内容までは書いていないが、これも日本軍に横行していたというか、当たり前のことになっていたようだ。「炊事員」であれば食材や残り物を横領し、自分たちだけ特別の食事を作ったり、横流しして他の物品と交換する。「補助」係なら物品支給の際に自分を優先する。その他、役職者はその立場を悪用していろいろな不正を行って私腹を肥やした。

これら日本人の勤務員(と彼らは自ら呼んでいた)が配膳係と共に、粗暴不親切横領等、あらゆる日本軍隊の悪習を継承していたことはいうまでもない。しかし私は今ここで彼等の悪事を数え立てることはしないつもりだ。何等かの意味で私自身のさもしさを露呈せずには、彼等の下劣さは描けないからである。しかも或いは彼等は単に専制に馴れた日本人の、特権に対する弱点(特権を持たない者は持つ者に媚び、持つ者はそれを濫用せずにはいられないという弱点)の現われの一般的場合にすぎないかも知れないのである。(P101)

軍における下士官についてはこんな記述もある。

これ(下士官)は既に軍隊内のその位置に快適を感じ、自己の個人的幸福のためにも、この組織を支持する意識を持ったエゴイストである。彼等は特権によって誘惑された者共であり、特権ある者は常に堕落するのである。(P270)

指揮官(役職者)の無能さ

日本軍の指揮官にも収容所の役職にもロクな人間は出てこない。たとえば日本人捕虜のトップ(「日本人収容所長」)である今本はこんなふうに評されている。

彼は支配するとは絶えず被支配者を怒鳴りつけること、また常に彼等を監視しているぞ、自分が不機嫌であるぞということを、彼等に悟らせることにあると信じているらしかった。(P185)

外出から戻るたびに不機嫌面を下げてエリアの中を見て回るが、いつも「水を撒かせろ」という文句しか思いつかない。

その他の将校や下士官も、病人や怪我人を平気で置き去りにして死なせたり、戦死した部下の遺品を我が物にしたり、現地人ゲリラを殺して食べると言い出したり、まあ揃いもそろって自分のことしか考えないロクデナシばかりだ。これも呆れるばかり。

日本兵のモラル

カニバリズム(人肉嗜食)を言い出した下士官についてはこんな記述がある。

比島人を食うという観念を得たのは、明らかに彼が日華戦争中に得た「手段を選ばず」流の暴兵の論理と、占領地の人民を人間と思わない圧制者の習慣の結果であった。(P250〜251)

捕虜の中には中国大陸での従軍経験を持つ者も多く、そこでの日本軍の悪行をほのめかしている箇所は他にもある。南京大虐殺の話も出てくる。(詳細にではないが。)

先の見えない捕虜生活による堕落の結果と言えばそれまでだが、特権/役得の濫用の他にも、捕虜たちのさまざまな不正やイモラルな行動が描かれている。

同性愛
演芸会で女形を演じた者などが男たちを魅了するようになる。実際の性交渉はなかったようだと書かれているが、同衾するカップル(?)に対するクレームが上がり、禁止令が出る程度には盛んだったらしい。

盗み
収容所の外に出て荷役や物資の整理などの労働につくと、多くの者が海軍言葉で言う「銀蠅」つまり盗みを働いた。

賭博
PX(物品販売)が始まると賭博が本格化した。煙草などPXで手に入れた商品を賭けるのだ。多くはトランプの「カブ」。大きな賭場も生まれ、親分も誕生する。

現地(フィリピン)人たち

わずかではあるが現地人についても言及していて、それも興味深い。日本の占領は歓迎されていたといまだに言い張る人がいるが、そんな気配は微塵もない。

収容所の「柵が実質的に我々の逃亡を防ぐよりは、比島人から我々を守る役目を果たしていることもわかっていた」(P229)

捕虜たちを乗せたトラックが通ると「比島人がばらばらと沿道の家から飛び出して来て何やら罵り、手を平らに喉へ当てて左右に動かした。斬首されるぞという意味であろう。」(P138)

一方で帰還の際、輸送船まで運んでくれた曳船の運転手は、主人公の「どうだい。日本人を君はどう思う」という問いかけに対し、「或る日本人は善く、或る日本人は悪い」と答えた。「マニラ、バタンガスの残虐を知っている彼等が、こういってくれたのを私は感謝している。」(P518)

軍部/天皇

捕虜収容所には多数のアメリカ軍が常駐しているわけで、そこには米軍の情報が直接入ってくる。いちいち捕虜に伝えられるわけではもちろんないが、終戦間際の原爆投下やポツダム宣言に関する情報は、日本国内よりもよっぽど早く、また正確に伝わったようだ。そして広島への原爆投下を知り、主人公は軍部や天皇への怒りをたぎらせる。彼が感情的になるのはこのときがほとんど初めてと言っていい。

しかし私は落着かなくなった。「何て馬鹿だ」それはわかっている。今戦争を指導している狂人共は、どうせ行くところまで行かなくては気がすまないだろう。国民が何発原子爆弾を喰おうと、彼等はいつまでも安全な地下壕で、桶狭間を夢見ているだろう。(P398)

生物学的感情から私は真剣に軍部を憎んだ。専門家である彼等が戦局の絶望を知らぬはずがない。そして近代戦で一億玉砕の如きことが実現されるはずがないのも、無論知っているであろう。その彼等が原子爆弾の威力を見ながら、なお降伏を延期しているのは、一重に自ら戦争犯罪人として処刑されたくないからであろう。彼等がこの戦争を始めた原因は色々あり、彼等の意のままにならぬものがあったのはわかっているが、この際無為に日を送っているのは、彼等の自己保存という生物学的本能のほかはない。従って私は彼等を生物学的に憎む権利がある。(P402)

もっとも印象的だったのは次のくだりだった。主人公が所属する第二中隊の担当サージャントであるウェンドルフが主人公に問いかけ、主人公がそれに答える。

何て馬鹿だ。ねえ、おい、君んとこの天皇は何か特別の命令を出して、軍を降伏さすことは出来ないのか

その時彼等は彼を殺すであろう
(P402)

日本の降伏は遅れた。長崎にも原爆が落とされ、ソ連が満州に攻め込んでも決断できずにいた。米軍は日本の各都市への空爆を、ソ連は満州での砲撃を続ける。

天皇制の経済的基盤とか、人間天皇の笑顔とかいう高遠な問題は私にはわからないが、俘虜の生物学的感情から推せば、八月十一日から十四日まで四日間に、無意味に死んだ人達の霊にかけても、天皇の存在は有害である。(P418〜419)

8月6日から終戦までの一連の記述は「八月十日」という章に収められている。なぜ10日かと言うと、日本がこの日ポツダム宣言受諾の意向を表明し、それを受けて収容所の近くに碇泊していた米軍の軍艦が汽笛を鳴らし、無数の曳光弾を打ち上げたからだ。最終的な受諾まではなお数日を要したが、レイテの日本人捕虜たちにとってはこのときが敗戦の瞬間だったのである。

8月10日に敗戦を知った日本人は捕虜たちだけではなかろうか。刻々と正確に入ってくる米軍からの情報と10日の晩の曳光弾。この章で描かれた終戦までの10日間は、ほとんどの日本人が共有している同じ10日間とまったく別の顔を持っている。

「日本スゴイ」信者にこそ読んでほしい

そんなわけで日本軍の連中はどいつもこいつもダメ人間ばかりだし、日本軍による占領を喜んでいるフィリピン人なんて一人も出てこないし、軍部や天皇のことはボロクソ言うしで、右翼界隈の方々にとってはさんざんな内容かもしれないけれど、フィリピンで本当に捕虜生活を送った著者が目にした現実はこうだったということだ。

この本はいろいろな雑誌に発表されたものをまとめたものだが、ほとんどが1948(昭和23)年から49(昭和24)年という戦後間もない時期に書かれている。このことも重要だと僕は思う。10年も20年もたってから書かれたものではない。しかも、前にも書いたように、妙な意味づけをして自己卑下や自己正当化を図ろうともしていない。まだ鮮明な記憶を醒めた目で再構築していることがこの本の最大の長所だと思う。

ついでに言っておくと、著者も、そしてもちろん主人公も、けっして左翼思想の持ち主ではない。むしろ左翼アレルギーと言ってもいいくらいだ。あの時代のごくまっとうな保守リベラルなのだろうと思う。別に左翼でなくても、まっとうな教養とまっとうな感覚とまっとうな思考力を持ってさえいれば、こう考えるのだ、たぶん。

だから、「日本スゴイ」信者の人にこそ読んでみてほしいと思う。古い本だから読みづらいところも随分あるし、読んでも気分が悪いだろうけれど。