われおもうに

解像度はもう十分だ。今度はよく聞こえるテレビを作ってくれ!

4K放送が始まり、テレビの解像度がまた新たなステージに進んだらしい。でも、はっきり言って今のテレビはもう十分すぎるくらいキレイだから、もっと精細な映像を見たいなんて思ったことはない。フルハイビジョンでもお釣りが来ると言いたいくらいだ。専用チューナーなんて買わないな、当分。

そんなことより、「よく聞こえるテレビ」を作ってくれと僕は言いたい。

高齢者はテレビ好きだと思っていたけれど…

小さい頃——つまりずいぶん昔の話だが——「テレビのお守(も)り」という言葉をよく耳にした。言うまでもなく朝から晩までテレビを見ているという意味で、僕の印象としては、婆ちゃんたちの暮らしぶりをちょっと茶化して言うセリフだった。

だから、爺さん婆さんはテレビが好きなものと思っていたのだが、意外とそうでもないことに最近気がついた。少なくとも最近の高齢者はそれほどテレビ好きではない。僕が一時期関わった高齢者施設に通ってきていた人たちは、全員「(最近のテレビは)ぜんぜん面白くない」と言っていた。

まあ、最近はどのチャンネルもバラエティやらクイズばかりだから、僕だってああいうのは見る気にならない。見るのはニュース・報道番組、ドキュメンタリー、たまにドラマ、それと映画なんだけれど、骨のある報道番組は絶滅してしまったし、ドキュメンタリーもNHK以外はほとんどやってないし、ドラマもなあ…。考えてみれば、欠かさず見る番組というのがほとんどなくなってしまった。高齢者のみなさんの気持ちはよく分かる。

しかし、内容云々の前に言いたいことがある。彼らはテレビの音声が聞き取れないから楽しめないのではないか、と。

聞こえてないんじゃないの?

大音量のテレビ

高齢者の家に行くと、ときどきものすごい音量でテレビを見ている人がいる。僕の父も相当なもので、いっしょに見ていると頭がどうにかなりそうだった。僕は離れて暮らしていたからまだ良かったが、同居していたらきっと我慢できなかっただろうと思う。近所迷惑も心配だった。でも、聞こえなければ、そりゃ当然ボリュームを上げる。そして、程度の差はあれ誰だって年を取れば耳が遠くなるのだ。だからたいていの高齢者の家はテレビの音量が大きい。

ボリュームを上げなくても聞こえるテレビって作れないの?

テレビの画面はどんどん進化しているけれど、音に関してはどうなんだろう。たしかに音質はずいぶん良くなったと思う。でも、画面は白黒がカラーになり、ブラウン管が液晶になり、画角もとんでもなく大きくなった。劇的な進化だ。その上2Kだ4Kだと言っているのに、スピーカーはそれに見合うような進化をしているのだろうか。

もちろん、本当に耳の悪い人は補聴器をすればいいのかもしれない。でも、そこまで不自由はしていなくてもテレビの音が聞きづらいという人はわんさといるはずだ。また、最近はテレビ用の手元スピーカーという便利なものもある。僕も最近買って重宝しているけれど、選ぶのはけっこう大変だった。せめてこれくらい標準で付けろよと思ってしまう。というか、やっぱり画面の進化を考えると、なんでもっと革命的な変化が起こらないんだと歯がゆくなってしまう。

耳のいい人と難聴を抱える人が並んで見ても、両者それぞれにちょうど良く聞こえるテレビとかできないものなのかな。ふつうは聞こえづらい人に合わせてボリュームを上げなくてはならないんだけれど、そんなことしなくても大丈夫というやつ。無人走行する自動車が作れるのなら、それくらいできるだろうと思うんだが。

早口は年寄りの敵

早口選手権のようだった『シン・ゴジラ』

先日、地上波放送で映画『シン・ゴジラ』を初めて見たんだけれど、一番驚いたのは早口選手権のようなその台詞回しだった。ほぼ全編を通じて、そしてほぼすべての登場人物が超早口で話す。(マトモと思えたのは大臣たちくらいかなあ。)テレビの正面に座って集中して見ていても、台詞の3分の1くらいは聞き取れなかった。何かに気を取られて画面から目を離そうものなら、もうちんぷんかんぷん。

なんとかストーリーを追うことはできたけれど、もしあれよりもさらに聞き取りにくかったら、間違いなくチャンネルを変えていたと思う。

ふつうのテレビ番組であそこまで徹底して早口なものはないけれど、年を取って聴覚が衰え始めたら、それでも聞き取れない場合があるだろうなと思う。『シン・ゴジラ』は話題作だったから頑張って最後まで見たけれど、聞いたこともないドラマであれだったら、僕だってぜったいチャンネルを変えていた。

たぶん、多くの高齢者はいつもこういうことを繰り返しているのだ。聞き取れないから分からない。だから、テレビは「ぜんぜん面白くない」。そういう悪循環に陥っているのではないだろうか。

「高齢者が楽しめる番組」を真剣に考えてはどうだろう

テレビの音声機能があまり代わり映えしないなと思うのと同時に、番組の内容も高齢者への配慮が足りないんじゃないかと思う。まあ、スポンサーあっての番組だから仕方のない部分もあるのかもしれないけれど、需要を取り逃がしているように思えてならない。

高齢者「にも」分かりやすい番組を作ろうとしても限界があるだろうから、ここは一つ思い切って「高齢者が楽しめれば、それだけでいい」と開き直ったほうがいい。それもアクティブ・シニアなどと中途半端なことは言わないで、「R−75」を自ら指定するくらいの勢いで。地上波では難しいと言うのなら、高齢者向けのBSチャンネルを作ってしまってはどうだろう。

番組ではまず早口は厳禁だ。出演者全員がゆっくりはっきりしゃべる。べつにスローモーションのように話せと言うわけではなくて、分かりやすさのコツっていうのがたぶんあると思う。ちゃんと研究すればいいのだ。

出演者が高齢者である必要はない。高齢者向けのしゃべりのコツをマスターしていればいいのだ。若い人のほうが滑舌はいいだろうし、なにより高齢者は若い人が好きだ。若い人が高齢者を思いやる番組を作ればいいのだと思う。

CMだって、まだまだ開拓の余地があるのではないだろうか。最近は尿漏れパッドとか介護用ベッドのCMをよく見かけるが、ターゲットは60代から元気な70代というところだろう。もっと上の世代のニーズがたくさん埋もれているのではなかろうか。

一人住まいの高齢者の夜を楽しく

一人寂しい夜を過ごす高齢者

冗談みたいなことをあれこれ書いてきたけれど、けっこう本気だ。というのは、一人ぼっちの夜を持て余している高齢者がたくさんいるからだ。

昼間はいい。介護認定を受けていればデイサービスに通うこともできるし、病院だって図書館だってパチンコ屋だって開いている。でも、夜は自宅で過ごすしかない。一人暮らしの高齢者は、昼間どんなに楽しい思いをしたとしても、夜になると孤独な時間が待っていて、それを自分の力で紛らわせなければならないのだ。

介護制度という枠組みの中でこの時間帯に新しいサービスを投入すると、昼間のサービスを削るか、一人当たりの利用限度を増やすかという話になってしまう。利用限度を増やせば国の負担が増える。それはそれで議論のあるところだろうが、僕はとりあえずテレビで何かできないのだろうかと思うのだ。

寝るまでテレビを点けっぱなしにしている高齢者は多いはずだ。でも、彼らは見て楽しんでいるわけではない。寂しいから点けっぱなしにしているだけだ。部屋の蛍光灯と変わらない。

でも、すでに点けっぱなしになっているそのテレビで少しでも孤独を癒やされる人がいたら、こんなに安上がりなことはないのではなかろうか。

本気で取り組めば、できるでしょ。

それにはまずハードの問題として、「よく聞こえるテレビ」を開発する必要がある。4Kだ8Kだと技術革新する力があるのなら、もうちょっとなんとかなるんじゃないの?その点が向上するだけでも、テレビを楽しめる高齢者は格段に増えるような気がする。

そしてソフト面。

高齢者にも伝わるしゃべり方は、研究者の協力を仰げばいい。アナウンサーの新人教育で教えるようなことと共通のものも多いだろうが、真面目に研究すればさまざまな科学的な発見があるにちがいない。

また、すべての高齢者が「面白い」と思う番組なんてあるわけがないから、これは徐々に対象年齢を上げていけばいい。その手のマーケティングが得意な人はゴマンといるでしょ。減少しつつある若い世代を対象にレッド・オーシャンをくり広げている人材をこちらにシフトすればいいのだ。違うかな。

以上でございます。

一人暮らしの高齢者はすでにかなり多くて、たとえ身体は元気でも、耐えきれないような孤独感に苛まれている人が少なくない。僕の場合、自分の父親もそうだったのかもと、死んでから気づいたという後ろめたさもある。明日は我が身という切迫感も大きくなってきたしね。