本/映画

ブレイディみかこ『労働者階級の反乱 地べたから見た英国EU離脱』

「学習の記録」

著者は20年以上イギリスに住み、労働者階級のイギリス人男性と結婚し、子どもを育てる日本人。名前は少し前から知っていたが、活字になったものを読んだのは松尾匡氏、北田暁大氏との共著『そろそろ左派は<経済>を語ろう』が最初だったと思う。つい最近のことだ。その中でブレグジットの実態やヨーロッパの左翼が共通して主張している“反緊縮財政”についてとても分かりやすく語っていて、興味を持った。いわく「ブレグジットは『移民排斥』とか『右傾化』という言葉で片づけられるような単純な問題ではなくて、背景にあるのは実は階級問題であり、保守党の緊縮政治だと思っています」(P.80)。

しかし当初は著者自身も、なぜ離脱賛成票が多数を占めたのか、まったく理解できなかったという。移民として英国に暮らす著者自身は、もちろん離脱反対に投票した。しかし、労働者階級に属する彼女の夫は賛成票を投じていた。日常的に付き合いのある夫の友人たちも多くは賛成派だった。政治的な判断でここまで大きく意見が違ったのは初めてだったという。彼らはレイシストでもなければ右翼でもない。現に夫は東洋からの移民である著者と結婚生活を営んでいるのだ。また友人たちは仲間の妻である東洋人を受け入れ、家族ぐるみで親しく付き合ってきてくれた。著者は英国人を、日本人と比べても「とても寛容で、多様性慣れした国民だと切実に感じていた」(P.5)のである。また思想的にも多くは労働党支持者だった。

だから「移民排斥」や「右傾化」が理由であるとは思えない。しかし、彼らの生の声を聞くだけでは納得の行く答は得られなかった。そこで、彼ら労働者階級がこれまでどんな歴史を歩み、今どんな立場・境遇にあるのかを著者は調べ始めたのである。「この本は、その学習の記録である」(P.8)。

この本の構成

第一部では、世論調査やメディア記事をもとに、トランプ現象とも比較しながら、国民投票後のイギリス人の様子を紹介している。

第二部では、ジャスティン・ゲスト著『The New Minority: White Working Class Politics in an Immigration and Inequality(ザ・ニュー・マイノリティ 移民と不平等の時代の白人労働者階級政治)』を参照しながら、労働者階級の政治意識や階級意識を紹介している。また、夫の友人たち(白人労働者)へEU離脱についてインタビューした内容も掲載されていて、彼らがどんな思いで投票したかがリアルに伝わってくる。共通する部分もあれば個人に根ざした理由もあって、とても興味深かった。キャメロン政権への反感とか、移民への思いとか、労働者としての誇りとか、そしてイギリス人でもジョン・レノンが嫌いな人は嫌いなんだとか。

第三部では、歴史学者セリーナ・トッドの『ザ・ピープル イギリス労働者階級の盛衰』を参考に、100年前まで遡り、英国労働者の歴史を、そのときどきの政権の施策とともにふり返っている。この第三部だけでも読む価値があると思う。イギリス社会の中で労働者がどのような位置を占めてきたのか、その変遷を知ることができる。そして労働者が支配階級とどのように戦ってきたか、支配階級にとって労働運動・労働組合がいかに脅威であり邪魔な存在であったか。

本題とは関係ないのだけれど、イギリスについて前から疑問だったことがある。

一つは、第二次世界大戦でイギリスを勝利に導いたウィンストン・チャーチルがなぜ終戦直後の総選挙で敗れたのか。
もう一つは、福祉国家を象徴する「ゆりかごから墓場まで」という言葉がなぜイギリスで生まれたのか。これはたぶん言葉といっしょに習ったんだろうとは思うが、福祉国家といえば北欧というイメージがすでにあったから、なんとなくスウェーデンの話と勘違いしていたのだ。あとでイギリスの話と知って驚いてしまった。無知だったと言えばそれまでだけれど、イギリスが福祉国家というイメージがそんなになくて。

二つともこの本を読んで納得した。
「ゆりかごから墓場まで」がチャーチルを破ったのだ。

この福祉国家のヴィジョンを最初に提唱したのは、自由党のウィリアム・ベヴァリッジだった。労働組合の要請を受けて1942年に「ベヴァリッジ報告書」を発表し、その中で展開したものだった。それと同じものだったのかどうかは分からないが、1945年の選挙で労働党がマニュフェストで掲げたのが「ゆりかごから墓場まで、国家が個人の生活を保障する福祉制度」だったのだ。

国民は大戦の英雄より暮らしの安心を選んだ。そして、選挙に勝利した労働党はとてつもない実行力を発揮して、理想を実現していったのだ。首相はクレメント・アトリー。慈善活動に取り組んだあと政治家に転じた社会主義者だった。ただ最大の功労者は、保健と住宅問題の担当大臣だったアナイリン・ベヴァンだったと言うべきかもしれない。公営住宅の大量建設とNHS(国民保健サービス)の創設といういずれも歴史に残る大事業を実現したのは彼だった。とくにNHSは、今でも英国人が「王室と並んでこの国を代表するもの」と公言して憚らないものだという。
(P.199〜206)

イギリスの労働者階級の歴史

戦後のポイントだけをちょっとだけ書き出してみる。

労働者階級の興隆

労働党が始めた福祉国家政策と大衆消費社会の到来により、戦後の英国では労働者の生活レベルが飛躍的に向上し、所得格差が縮小した。労働者階級が存在感を増し、ファッション、音楽、文学などあらゆるジャンルで彼らが主役になっていく。

だが、産業の発展とともに労働者の職種も多岐にわたるようになり、それにともない、また新たな格差も生まれていた。多くの移民を受け入れたことによる人種間の軋轢も生じるようになっていった。

福祉国家の終焉

1973年のオイルショックがイギリス経済と政治を大きく変えることになる。76年、イギリスは財政破綻を宣言し、IMFから救済を受けることになった。その条件としてIMFが求めたのは緊縮財政だった。戦後歩んできた福祉国家への道は、ここで途絶えてしまう。

この時期は労働組合が活発に活動した時期でもあったが、その一方で政府が労組からさまざまな権利を奪っていった時代でもあった。

緊縮財政と自己責任

財政破綻以降のイギリスの歴史は緊縮財政の歴史と言ってもいいくらいだった。1979年にサッチャー政権が誕生する。自助努力を国民に求め、国家支出を厳しく抑制した。福祉・行政サービスが次々に縮小される。また労組を徹底的に衰退させたのもサッチャーだった。労働者は分断され、孤立していく。

だが、サッチャーの緊縮財政がイギリス経済を回復させることはなかった。結局労働者階級だけがより貧しくなっただけだった。失業者が増え、ワーキングプアが増大し、貧困が拡大した。

メイジャーを経て1997年にトニー・ブレアの労働党政権が誕生するが、彼はサッチャーが「一番できのいい私の息子」と言うほどの新自由主義者だった。「失業者は雇用されるだけの技能や知識がないから失業している」というのが彼らニュー・レイバーの考え方だった。貧困は自己責任と見なされ、雇用創出が重要視されることはなかった。

アンダークラス差別

ニュー・レイバーのこの考え方が、この後の英国社会に大きな禍根を残したのではないかと思う。貧しい者、とくに人種的マジョリティである白人でありながら貧困に甘んじている人々を、能力のない者として軽蔑していいと政府が公認したようなものだった。

この頃には移民が増え、人種差別については国民の意識が高まっていた。しかし白人を差別しても“人種”差別にはならない。マジョリティであることが逆に徒になり、白人労働者階級のアンダークラスだけが矢面に立たされることになる。彼らは「チャヴ」と呼ばれ、低学歴、失業、スクラウンジャー(失業保険や生活保護の不正受給者)、犯罪者、若年出産といった負のイメージで見られ、蔑まれるようになった。

戦後最大規模の緊縮財政

2008年のリーマン・ショックのあと、イギリスはなかなか景気を立て直すことができなかった。2010年に保守党へと政権が交代し、キャメロン首相とオズボーン財務大臣のもとで「危険な緊縮の時代」が幕を開ける。戦後最大規模と言われる緊縮財政が始まった。スクラウンジャー(=たかり屋)という言葉とともに公的扶助受給者へのバッシングが横行したのもこの頃からだった。2011年の夏になると全国各地で「チャヴ暴動」が起こる。アンダークラスへの締め付けはもう限界を超えていたのだ。

EU離脱投票は、このキャメロンの緊縮財政が6年も続いていたときに行われたのだ。

見えない階級

戦後のイギリスはずっと「階級のない社会」を目ざしてきたのだと思う。もっともそれに近づいたのは50年代から60年代だったろうか。その後も言葉では標榜されたが、70年代以降の緊縮財政は逆に格差を広げる一方だった。なのに90年代になると、政治家は左右を問わず「階級はなくなった」と言うようになった(P.249)。そして、アンダークラスにいるのは自己責任とされるようになった。

非白人の移民たちが人権擁護の観点から一定の保護を受けたのに対し、白人に対するバッシングは容赦がなかった。最初の方向付けをしたのが労働党のブレアであったことからも分かるように、リベラルからも攻撃され、差別された。

「彼らには旗印にできるアイデンティティが欠如していた」とジャスティン・ゲストは言っている(P.130)。

貧しい白人労働者階級は、同じくらいに貧しい移民の人々に対してエリート意識のようなものを持っていることが多い。「白人というマジョリティの中にいる下層民としての立場」が、彼らもまた政治的・社会的な構造が生み出した隔離によって困窮させられているグループなのだという事実から、本人たちの目も、世間の目もそらしてしまっている。

新自由主義と市場主義の社会で、労働者階級の存在や仕事が評価されなくなるにつれ、白人労働者階級は不可視の(見えない)存在となり、彼ら自身が、自分たちのアイデンティティと「社会の中での居場所」を失っていった。

移民労働者たちが地域コミュニティの中で、「自分たちは周縁化された存在である」と団結して声を上げることができるのと対照的に、貧しい白人たちは、草の根のレベルで団結して声を上げることもできず、「君たちは貧しくとも白人なのだから、困窮しているのは自己責任の問題である」と見なされ、堂々とマイノリティであることを主張できなくなる。移民やLGBTなどのグループと比較すると、「不満の声を上げてはならない周縁グループ」と見なされているのである。
(P.130〜131)

労働者階級が離脱を選んだ理由

白人労働者階級はなぜ移民制限を望むのか

繰り返しになるが、著者は英国人を、日本人と比べても「とても寛容で、多様性慣れした国民だと切実に感じていた」(P.5)。移民として英国に生きる者のこれが実感だったのだ。

英国人はすでに、人種の違う移民たちと隣人として付き合うことに慣れていた。一番の問題は、数十年も続く緊縮財政のもとで、社会インフラも公共サービスも雇用も削られてきたことだというのが著者の主張だ。

たしかに最大の関心事は「移民問題」だったが、それは「移民そのものに対する不安や憎悪というよりは、『移民が増えて病院の待ち時間が長くなっている』とか、『移民が増えて公営住宅が足りなくなっている』『移民が増えすぎて英国人の子どもが近所の学校に通えない』というように、必ずといっていいほどインフラ不足や公共サービスの質の低下への不満とセットになっていた」(P.45)。

ただし、低賃金・悪条件で働く移民の影響で、白人労働者の労働条件がそれに引きずられて悪化していることも事実で、これに不満を持つ者も少なくない。一定期間英国で働き、稼いだ金はすべて故国に送り、やがて故国に帰っていく移民への不満もある。これを愛国心という言葉で説明することも可能だろうが、いわゆる「ナショナリスト」の排外思想とは少し違うだろう。

第二部のインタビューの中にこんな言葉があった。
「この国の労働者の待遇をどんどん悪くしているのは、労働運動にも加わらず、雇用主とも闘わず、反抗もせずにおとなしく低賃金で働く移民だよ」
「俺は英国人とか移民とかいうより、闘わない労働者が嫌いだ」(P.77)

移民問題と一口に言っても、それぞれさまざまな体験や問題意識に基づいて答を出しているのだ。共通しているのは著者が言うように、単純な人種差別に基づく排斥ではないということであり、移民の増加によってもたらされる各種の弊害に、政府や雇用主、そして(労組の弱体化も含めて)社会が対応しきれていないことへの不満だということだ。つまり、「労働者たちにとって離脱は、文化的な動機(移民への不満)より、経済的な動機(生活への不安)のほうが大きかった」(P.40)ということだろう。

白人労働者階級は右傾化しているのか

右傾化の問題については、第一部で取り上げられている米国のトランプ現象との違いも参考になる。

離脱票を投じた人々の最大の関心事は「移民問題」だったが、2番目は「NHS」(国民保健サービス)だった。離脱すればEUへの拠出金をNHSに回せるというデマが広がった影響だろうが、これが離脱派勝利の決め手になったとも言われている。

だが、これはアメリカ人にとっては信じられない話だったようだ。「米国では、移民に対してネガティブな考えを持つ人々は、誰でも平等に使える社会保障制度に対しても反対の立場を取っている」(P.44)という。トランプがオバマケアを徹底的に攻撃したのは戦略的意味合いも強いだろうが、英国のNHSはそのさらに上を行く社会主義的ヘルスケア制度である。トランプが排外主義(自国第一主義)を唱えつつ、このような制度を擁護したら、まず当選することはなかっただろうというのだ。

多くの英国人が医療サービスへの財政支出を願って離脱票を投じたのだとしたら、その背景として読み取るべきものは右傾化ではないだろう。

また、2017年の総選挙で強硬左派と呼ばれるコービン率いる労働党が大躍進したことの説明もできない。離脱投票から1年しか経っていなかったのだから。

貧しい労働者階級の反乱

要するにあの国民投票の結果は、「貧しい労働者階級の反乱」だったのだ。

労働者がポピュリストに扇動された結果だ、とか、排外主義に走った愚かな労働者階級の愚行だ、とか、その行動や思想の是非はあるにしろ、それが「労働者階級がエスタブリッシュメントを本気でビビらせた出来事」の一つだったことは誰にも否定できないと思う。(P.274)

エスタブリッシュメントによって長い間緊縮財政政策が取られてきた。それは往々にして「金持ちのための政策」であり、苦しむのはいつも労働者階級だったのだ。しかし、労働者はいつの間にか分断され、貧困は個人の能力やモラルの問題とされてきた。中でも「見えない階級」として取り残される形となった白人労働者たちは、声も上げられずフラストレーションをため込んできたのだ。そのうえ6年もの間、キャメロン政権によって戦後最大の緊縮財政が続けられていた。

ただ、著者が言いたいのは、白人労働者階級のこの不幸な境遇についてではない。「白人」が枕詞のようにつくことで、一見人種問題であるかのように——捻れた人種差別が起こっているのは事実だが——見えてしまうが、彼らが行動を起こしたのは民族的利害に基づくものではなく、それを超えて現政権へ反貧困・反緊縮を訴える異議申し立てだったのだと言っているのである。それに、EUそのものが緊縮の権化みたいな存在なので、もともと彼らの怒りはEUにも向いていたのだ。

そして分断された現在の状態から脱するために、「もう一度、労働者階級の意味を再定義するときに来ている」(P.273)と著者は言う。

「労働者階級を民族問題から解放せねばならない。『白人』という枕詞をつけさせ続けてはいけないのだ。すべての人々を結びつけ、立ち上がらせることができるのは、人種問題ではなく、経済問題だからだ。」(P.277)

(光文社新書2017)