お気軽な話

囲碁棋士 趙治勲さんの紫綬褒章受賞コメント

朝日新聞をネットの紙面ビューアーで読んでいたら、紫綬褒章受賞が決まった囲碁棋士の趙治勲(ちょう・ちくん/チョ・チフン)さんのコメントが目にとまった。

叙勲とか褒賞にはまったく関心がないから、受賞コメントを読むことなど滅多にないのだが、今回は作家の川上弘美さんと趙さんの二人が取り上げられていて、川上さんのを読んだついでに趙さんのも読んだのだった。趙さんの写真も目を惹くものだったし。

ちなみに趙棋士について詳しいことは何も知らない。名前は若い頃からよく目にしていたし、囲碁界の第一人者という認識はあったけれど、囲碁自体に興味がなかったから、彼が日本に住んでいるのか韓国に住んでいるのかさえ知らなかった。この記事で自分とそれほど年齢が変わらないことを知って驚いたほどだ。

でも一読してみて、ほんの800字あまりの短い記事なのに、ものすごいものを読んだような気がした。

改めて言っておくと、この人がかなり個性的(というか破天荒)な人であることも僕は知らなかった。でも引用された短い言葉からおおよそのイメージはついた。そして、日本で彼が手にした私的な幸福についても、最小限のことしか言っていないのになぜか深く心に染み入ってきた。なんというか、文字にしたらほんの何十文字の平凡な言葉なのに、この人が言うと何百文字も読んだあとのような残響が残る。

通算74タイトル、1533勝という数字ともども、そんなに年の変わらないこの人の歩んできた人生の濃密さが、短い記事からずっしり伝わってきた。

あ、でも「人間性が初めて認められた」わけではなくて、この押しも押されもせぬ実績に対する評価だと思いますけど。

たぶん嫌われることを恐れず、ずっと“我が道を行く”で来た人だと思うんだけど、その一方でエンターテイメント精神が並外れて豊かな人だということもよく分かる。それが写真にも表れているし、記者の筆致からも伝わってくる。

日韓両国をどちらも「かけがえのない国」としたうえで、双方の国民から「愛されたい」と言っているのも印象的だった。自分の頭脳だけが頼りの勝負の世界に生きてきた人が、60歳を過ぎて「愛されたい」と言うのか、と少し意外な気がして。しかも「碁が強いけど、人間がダメだ」と言われたクセの強いチャンピオンが。これもエンターテイメント精神の表れなのだろうか。

まあ素直に出てきた言葉なのだろう。それに「日本に住む韓国人」として特に珍奇なことを言ったわけでもない。どちらかと言うと平凡すぎてこの天才にはそぐわないという印象のほうが強い。でもその違和感が不思議なインパクトを持つ。この人が言うと少し違うことを言っているような響きを感じるのだけれど、これは僕だけだろうか。家庭生活への(短い)言及もそうだが、この人が平凡なことを言うと、逆に意味深く感じられるから不思議だ。

そして最後に見事なオチがある。「愛される芸風ではないけどね」。
一瞬“関西人かい”と言い返したくなる。これもすごいなと思う。

結局自分が何にこんなに心を惹かれたのかまだよく分からないのだけれど、たぶん“その人が歩んできた人生が、その人の言葉を言葉以上のものにする”というようなことなのではないかと思う。違うかな。

前にも書いたようにたった800字あまりの文章で、あっという間に読めてしまうのに、なんだかその10倍ぐらいの分量の中身が詰まっているような、そんな感じがした。不思議。こんな感覚は初めて味わったような気がする。

朝日の記事のテキストも一応載せておく。
(リンクを貼っても、いずれ読めなくなるかもしれないから。)

受章のことばを、この人らしくちゃめっけたっぷりに語った。「むかしタイトルを取っていたころは、よく言われたもんです。あいつは碁が強いけど、人間がダメだと。僕の人間性が初めて認められたような気がして、うれしいですね」

6歳で韓国から来日。当時世界最強の日本で名人になる期待を背負わされていた。碁の勉強そっちのけで遊んでばかりいる少年は、兄に叱られて「頼みもしないのに、なんで日本に連れてきた」と叫んだ。

成長とともに勝負の鬼と化し、「負けたら明日はない」のことばは広く喧伝(けんでん)された。通算74タイトル、1533勝は歴代1位。なお一線で戦い続ける。

「ずっと日本にいて、奥さんをもらって、2人の子どもに恵まれ、家も建てて。日本でたくさんの幸せをもらって感謝しかない」。一方で、年をとるほどに故国への思慕も強まる。

厳しい日韓関係のニュースを見聞きするたびに心が曇る。「どちらも僕にとってかけがえのない国。日本に住む韓国人として、日本を愛し、日本の人にも、韓国の人にも愛されたい。愛される芸風ではないけどね」(大出公二)

朝日新聞2019年5月21日

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