本/映画

柴田哲孝『下山事件 最後の証言 完全版』

占領下の日本で起こった不可解な事件

下山事件とは

JRの前身の「日本国有鉄道公社」は昭和24(1949)年に誕生し、同62(1987)年にJR各社へと分割民営化されて役割を終えた。

少し紛らわしいが、国有の鉄道(国鉄)はすでに明治時代からあって、鉄道省などの省庁が直接運営していた。それが戦後の昭和24(1949)年、100%政府出資で設立された「日本国有鉄道公社」に引き継がれたということだ。日本がまだGHQの占領下にあった時期だから、アメリカが求めた改革だったのかもしれない。

日本国有鉄道の発足はこの年の6月1日。そして、それからわずか約1カ月後の7月6日、初代総裁下山定則が轢死体で発見されるという事件が発生した。これが世にいう下山事件である。

警察は早々に自殺と断定し捜査を打ち切ったが、不可解な点が多く、疑問の残る決着のつけ方だった。おそらく自殺説に納得できた人のほうが少なかったはずだ。その後何人ものジャーナリストや作家が事件の真相解明に挑んでいる。たとえば松本清張。1960年1月から「文藝春秋」に連載を始めたノンフィクション『日本の黒い霧』の中でこの事件を取り上げ、GHQによる謀殺論を展開して大きな反響を呼んだ。

『下山事件 最後の証言 完全版』は、そうした先人たちの仕事も踏まえたうえで、新しい周辺情報も加え、この事件を検証し直したものである。もちろん他殺説に立つが、清張以来主流になったGHQ主犯説にも異を唱え、矛盾点を丁寧に洗い出していく。そして新たな切り口で事件を再構成し、二人の実行犯を特定するにいたる。(名指しは避けているが、ページを遡って読み返せば分かる。)

ただ、真犯人捜しは知的刺激に満ちているが、読み終わってみると、それはこの事件のごく一部にすぎないことが分かる。犯人が分かったとしても、それだけではこの事件の解決とは言えない。妙な言い方になるが、この事件を構成しているのは犯人と被害者だけではないのだ。協力した者がいる。事前に知っていて黙認した者がいる。偽証した(させた)者がいる。警察の捜査を打ち切らせた者がいる。真相解明を妨害するために、10年も20年もたってからわざわざ虚偽の証言をした(させた)者までいる。……犯行に直接関わらずとも、この事件を都合よく利用した者が大勢いた。真犯人など——そして犯行の背景など——このまま闇に葬られるほうがよいと考える人々。その中には当時の国家権力の中枢に身を置いていた者もいた。こうした人々が犯人と被害者の周囲を取り囲み、事件の真相を隠し続けてきたのだ。

「日本の黒い霧」とはよく言ったものだと思う。日本の中心を、不定形でどす黒いものがすっぽりと覆い、視界を遮っている。もちろん真犯人は罰せられなければならないが、こうした連中の罪は問われなくていいのだろうか。

GHQの幹部やその配下の工作員、政治家、高級官僚、実業家、右翼、左翼、スパイなど、この本にはさまざまな人物が登場する。それぞれの思惑があり、絡み合う利害がある。一般庶民からは隔絶した世界だ。今に生きる我々には想像もつかないような70年前の日本の姿が垣間見える。その社会の感触を、部分的にとはいえ実感できたような気にさせてくれること、それこそがこの本の最大の魅力だと思う。

時代背景 〜共産主義の脅威〜

昭和24(1949)年といえば敗戦から4年後。まだ占領下にあったとはいえ、東京では空襲による焼け跡も消え去り、街の姿は大きく変わっていただろうと思う。

国内外の状況にも大きな変化があった。ソ連はすでに核兵器の開発に成功し、中国では共産党の勝利が目前となっていた(この年の10月に中華人民共和国が成立)。国内でも民主化の勢いの中で労働運動に多くの労働者が参加し、国会では共産党が議席を大幅に増やしていた。疲弊と荒廃の極限にあった敗戦直後とは明らかに社会の状況が変わっていたのである。GHQや国内の保守陣営にとって、内外の共産主義勢力の脅威が現実のものとなっていた。

それにともない、GHQの占領政策もこの頃には大きく方向転換していた。
当初は日本経済と国民意識の「民主化」が彼らの主眼だった。アメリカ国内でも左派に属する「ニューディーラー」たちによって、米国でも実現できないような実験的な制度改革が次々に実施されていった。

だが、米国内の保守層が黙っていなかった。
軍事面では、日本を「反共の防壁」として重要視する声が高まった。ソ連や中国と対峙するうえで、日本は防壁として、そして前線基地として最適の位置にある。逆に日本まで共産化してしまったら、敵側の城壁となってしまう。それはぜったいに避けなければならない。民主化一辺倒の政策をこれ以上続けると、共産党がさらに勢力を拡大するのではないかという危機感があった。また米国の財界人にとっては、投資先として(そしておそらく市場としても)の日本も捨てがたかっただろう。日本経済が必要以上に収縮してしまうと、いつまでたってもビジネスチャンスが広がらない。

こうして、終戦直後に徹底的にパージした帝国日本の実力者たち——政治家、資本家、右翼——に対する手綱が、急激に緩められていく。

それはGHQ内部の勢力図の変容とも表裏を成していた。ニューディーラーを中心とするGS(民政局)が力を失い、「極右勢力によって組織される」G2(参謀第二部)が実権を握るようになっていた。

そんな時代に下山事件(とそれに続く二つの国鉄事件)は起こったのである。

国鉄三大ミステリー事件

下山事件だけであれば、いくら謎多き事件でも世間はすぐに忘れただろう。しかし、この事件を皮切りに、国鉄の周辺で不可解な事件が続発する。下山事件の発生が7月5日から6日にかけて。その衝撃も冷めやらぬ7月15日には三鷹事件、8月17日には松川事件と、ほとんど間髪を入れずに重大事件が起こるのだ。すべて国鉄の列車事故で、すべての事件で死者が出た。そしていずれも謀略の臭いがした。不自然で不可解……あまりにも謎が多い。

3つの事件が脈絡もなく起こったと考えるほうが不自然だろう。「国鉄三大ミステリー事件」とも称され、国民に強い衝撃を与えた。

冤罪

公社として独り立ちした途端に、国鉄は大規模な人員整理を発表した。もちろん労働組合は真っ向から反対し、労使の対立が深まった。だから、まず犯行を疑われたのは国鉄労組だった。当時の労組は共産党の影響を強く受けていたので、それはすなわち共産党が疑われたということでもあった。

下山事件でも当初そういう噂がたった。結局自殺と判断されて捜査は打ち切られるが、公式の発表はなく、うやむやのまま葬り去られたような形だった。そして松川事件では国鉄・東芝労組の組合員20名が起訴され、一審では全員有罪(死刑5人)の判決が下される。その後全員が無罪となるが、最高裁で無罪が確定したのは1963年、事件から14年もたってからだった。三鷹事件では労組員10名が起訴されたが、運転士(非共産党員)による単独犯行とされ、彼だけが死刑判決を受け、党員だった残りの労組員は全員無罪となった。(ただし運転士も無罪を主張した。)

要するに、どの事件も左翼によるテロリズム説はすべて否定されたのである。完全な冤罪だった。しかし、逮捕や有罪判決のインパクトはいつまでたっても消えない。結果的に一連の事件のあと共産党や労組のイメージは著しく低下した。これらの事件が反共工作であったのなら、大成功を収めたと言うべきだろう。だから、赤色テロだと信じた人が多かった一方で、初めから左翼潰しを目的とした謀略だと主張する人も多かった。

自殺として決着

警視庁は早々に自殺と断定して捜査を打ち切ったが、世間では当初から他殺説が優勢だった。それもそのはずで、司法解剖の所見は「死後轢断(れきだん)」、つまり死亡したあと列車に轢かれたというもので、殺人の可能性が高いことは誰の目にも明らかだった。当然、警察も最初は殺人の線で捜査を開始したはずだ。しかしその後、捜査一課はなぜか自殺説へと急旋回し、事件を終結させてしまった。

9万5千人もの職員の馘首を強いられ、労組と政府との間で板挟みにあって精神の安定を失った……そういう理屈は分からないではない。しかし、自殺説のストーリーに沿って、多くの証言が捜査一課の手で改変・捏造されていたこと、その一方で他殺を示す有力な証言・証拠が闇に葬られていたことが分かってくる。

この本の面白さと凄さ

権力者の罪を暴く 〜先達たちの仕事〜

下山事件が他殺であれば、犯人はなんの刑に服することもなく、その後の人生を生きたことになる。下山事件だけではない。三大事件はいわばすべて未解決のままなのだ。松川事件の容疑者が全員無罪とされたあと、結局真犯人が捕まることはなかった。三鷹事件も単独犯とされた運転士は自白を覆し、無罪を主張したまま若くして獄死している。もしこれも冤罪であれば、同じく真犯人はその後も普通の生活を続けたことになる。

赤色テロでないのならば、左翼潰しの謀略だった可能性が一層高まるが、それも有耶無耶にされたままだ。無実の人間だけが冤罪に苦しみ、実際に罪を犯した人間はのうのうと生きている。結局これらの事件では、被害に遭った方々と冤罪で捕らえられた弱者だけが苦しんだことになる。権力者の陰謀であったとしたら許せない……そんな思いが多くの人々を駆り立てたのだろう。

前述のとおり、数多くのジャーナリストや作家が下山事件(そして松川事件、三鷹事件)の真相を解明しようと、地道な取材を重ね、仮説を積み上げてきた。この本でも随所で先行文献からの引用があり、またその著者から直接聞き出した話が取り上げられている。主なものは次の5冊だ。

  • 『謀殺 下山事件』矢田喜美夫(講談社1973)
  • 『日本の黒い霧』(上・下)松本清張(文春文庫1974)
  • 『夢追い人よ 斉藤茂男取材ノート1』斉藤茂男(築地書館1989)
  • 『秘密のファイル CIAの対日工作』(上・下)春名幹男(共同通信社2000)
  • 『葬られた夏 追跡下山事件』諸永裕司(朝日新聞社2002)

どれも実際には読んでいないので、この本で紹介されている範囲でしか内容は分からないが、いずれも他殺論を展開していることは言うまでもない。しかも、GHQやCIAの関与を暴き出す、スケールの大きな推理劇だ。

そして2005年、この本の著者柴田哲孝が単行本『下山事件 最後の証言』を発行。それに加筆・修正して2007年に文庫化されたものがこの本だ。

個人的な関わり

ここに詳しくは書かないけれど、実は著者の柴田哲孝自身が下山事件に個人的な関わりを持っている。だからこそ新たな情報が手に入ったのだ。また、だからこそ、もう一度この事件の真相を捉え直すという地道で膨大な作業をやりとげることができたのだろう。そしてその関わりは、第三者とはまったく異なる足場を著者に与え、そこからの景色を見させている。

この事件は多くの偽証によって攪乱されていて、それが核心に迫る道を塞いでいる。何を信じて何を信じないか…それで結論がまるで違ってくる。しかし、背後に誰のどんな利害が横たわっているのかが分からなければ、偽証だと断定できない。この事件の真相を探る作業とは、そうやって背景を見極めながら嘘を見破っていく作業でもある。

たとえば、この事件について(意外なほど)たくさんの元工作員が情報を提供しているが、たとえ彼らが真実を知りうる立場にあったとしても、真実を語るとは限らない。真実を隠すために偽りの証言をする場合もある。そして、真実を知っているからこそ巧妙な嘘が吐ける。すべてが偽りだと信憑性を確保できないから、部分的に正しい情報を織り交ぜるのだ。どこまでが正しい情報でどこからが偽りか、そしてそれによって何を隠蔽しようとしているのか。根気よく他の証言や仮説と突き合わせをしていくしかない。

先達たちが信じた証言も、こうやって著者は丁寧に検証していく。

ということは、極端な話、こんなことも言える。この本自体が新たな嘘である可能性もあるのだ。ものすごい労力をかけて新たに築き上げたストーリーだが、これだって何かの目的のために吐かれた壮大な嘘かもしれない。読んでいるとなんだかそんな疑いも湧いてくるほど、目的の不明な(でも何らかの目的のために吐かれた)嘘にまみれた事件なのだ。

下山定則という人

下山定則という人はどんな人物だったのだろう。初代国鉄総裁という肩書きが先入観を生み、多くの人は実際の下山についてあまり考えようとしなかったのではなかろうか。

下山は技術畑出身の生え抜きで、根っからの「汽車好き」だったという。運輸次官まで上りつめたとはいえ、政治的な動きを得意とするタイプではなく、とにかく真面目な男だった。

「だから?」と言われそうだが、下山が根っからの国鉄マンだったと分かれば、次のような証言が真実みを帯びる。ある国鉄幹部の言葉だ。

(下山事件は)国鉄内部ではすべて“他殺”という認識でした。“自説説”というのはまったく考えられない。線路上の轢死体を我々はマグロと言うんですがね。運転士には本当に迷惑な話なんです。それを運転士の親方の、運転屋で一生暮らしてきた下山総裁が自ら飛び込んでマグロになるなんて、絶対にあり得ないんです。当時の国鉄内部の空気としてはそうでしたね
(P564)

もちろん個人の意見にすぎず、物証でも何でもない。また、自殺する人間は正常な判断ができなくなっていると反論する人もいるかもしれない。しかし、それでも現場を知る人間のこの言葉には説得力がある。少なくとも自殺説に疑念を持つ理由にはなると思う。

そして、著者はさらに踏み込む。下山定則は、そもそも国鉄労組の敵だったのか?

元福島機関区の運転士がこんなことを言っている。

(下山総裁失踪の)ニュースを聞いた時、大変なことになったと思った。下山さんは左派の味方だったので、すぐに殺されたのだろうという噂が立った。これで首切りは左派を中心にやられるだろうと覚悟した。
(P502)

人員整理をめぐって労使の緊張は高まっていたが、労組側は下山を「左派の味方」だと考えていたことになる。そして実際に下村は、亡くなる前日に発表した解雇者名簿において、政府からの要望を退けて「左派に偏らない」公平な人選を行っていた。労組幹部を狙い打ちするような政治的な工作をしなかったのだ。

叩き上げとして一生を鉄道に捧げてきた下山にとって、国鉄労働者は昨日までの同僚でもある。同情心が湧くのも当然だろうし、何より心から国鉄のことを思って物事を判断していたと考えることもできる。

下山の来歴からすれば、自殺するとしても鉄道自殺を選ぶ確率はきわめて低い。また、赤色テロであるなら、少なくとも労組側は下山を敵と考えていなければならないが、実際はまったく逆だった。それどころか、下山が自分たちを守ってくれていると信じていたわけだ。「国鉄総裁」という下山の肩書きだけを見ていたら、自殺説や赤色テロ説もそれなりにもっともらしく感じるが、下山定則とはどのような人だったかと少しでも思いを巡らせれば、ほとんどあり得ないストーリーだったことがわかる。

曖昧なイメージにすぎない人物像を重視しすぎるのが危険なことは分かっている。肩書きからの先入観に囚われるのと同様、フィルターを通して見ることになってしまう。そこは慎重であるべきだろうが、それでもこれをベースに考えると、いろいろな謎が解けるのも確かで、僕は説得力を感じるし興奮もした。

国鉄の汚職構造と下山定則

GHQ主犯説も著者は否定している。二人の実行犯のうちの一人はGHQの人間だが、組織的な関わりはなかったというのだ。最終的に著者がたどり着いたのは、国鉄をめぐる利権がこの事件を生んだというストーリーだった。下山が心から鉄道(国鉄)を愛していたと考えると、実にすっきりと納得できるものだ。

リニアモーターカーに関連する投資額は1兆円を超えると聞いているが、それを引き合いに出すまでもなく、鉄道の敷設・維持には莫大な資金が動く。日本国有鉄道公社に移管する前はそれを国が直轄していたわけだから、政治家が黙って見ているわけがないだろう。腐敗の温床だったとしても不思議ではない。

まず、国鉄は、適正価格の二倍から三倍の価格で下請け業者に“仕事”を発注する。もちろんこの価格は、事前に国鉄と複数の業者の間で談合によって決められている。談合に参加したのはすべて戦時中の満州鉄道や旧日本海軍と軍需物資の取引があった団体や企業だった。国鉄利権で暴利を得た下請け業者は、受注金額の三〜五パーセント前後を運輸省の上級役人や国鉄幹部にペイ・バックする。

裏金は、最終的に政界に流れた。
(P511)

当時の日本では、こうやって国の資金が政治家の懐へと流れていったのだ。上は著者の叔父の言葉なのだが、次のような話もしている。当時、下山総裁の暗殺を予言する猪俣という男がいたという。

当時、運輸次官だった下山さんに、取引を切られたそうだよ。猪俣は、国鉄の客車の椅子を作ってたんだ。下山さんは、こう言ったそうだ。同じ椅子は、他の会社ならば半額で作れる。国鉄の設備投資の予算を半分に抑えることができれば、残りを人件費に廻せる。人員整理も、半分の五万人ですむ……
(P512〜513)

この猪俣が次のような話をした。ちょうどその頃、東北本線の電化の話が持ち上がり、それにともなう発電所建設の受注を日立と東芝が争った。それが下山の一言で日立に決まる。発電所の建設といえば投資金額は莫大なもので、利権の規模も大きい。東芝側の利権に絡んでいたある男が猪俣の目の前で「下山を殺してバラバラにしてやると言った」。(P514)

結論を言うと、この東芝側の利権に絡んでいた男が実行犯だというのが著者の見立てだ(明言はしていないが)。転向組の国粋主義者である。もう一人はGHQのキャノン機関の日系二世将校で、のちにCIAで各国支局長を務めるなど権勢を誇ることになる男。ちなみにこの時すでにキャノン機関に籍を置きつつもCIAの人間だった。なぜこの人物が関わることになったのかは不明だが、キャノン機関もCIAも組織的に関与したわけではないらしい。

だとすると金絡みの怨恨による犯行ということになり、このセンセーショナルな暗殺事件が急に陳腐なものに感じられてくるが、前にも言ったように、実行犯の他にもこの事件の周辺には多くの人間が蠢いていた。問題は、どういう利害関係を持った連中がそこにいたのかということだろう。著者が指摘するのは、公社設立前から国鉄の事業をがんじがらめに縛り付けてきた利権の構造である。政財官があうんの呼吸で結びつき、公の資金を地下に伏流させる、古くからの権力構造。

下山定則を邪魔だと思ったのは誰か

下山定則が運輸次官に就任したのは昭和23(1948)年、贈収賄汚職で当時の次官が引責辞任したあと、GHQのCTS(交通監理部門)の命により大抜擢されたのだった。著者の叔父の話に出てくる猪俣という男が「取引を切られた」のはこの次官時代のことで、汚職構造に立ち向かう下山の姿勢の一端が垣間見える。そして翌年、日本国有鉄道公社設立とともに初代総裁に就任する。「この経緯を見ても、下山総裁が『汚職の番人』としてGHQから送り込まれたことは容易に想像できる。」(P513)

つまり、こういうことだ。GHQは日本の政財界の利権と汚職の構造を断ち切ろうとして、国鉄を公社化し、そのトップに下山を据えた。そして、下山はその期待通りに国鉄事業の構造改革に取り組んでいく。端的に言えば利権の排除だ。慌てたのは言うまでもなく既得権益を得ていた連中だろう。著者が実行犯とする右翼の大物は、その汚職構造の中にうまく入り込み寄生していた存在にすぎない。中心を成していたのは政治家であり、産業界の実力者たちだ。下山が敵に回したのは、そうした国の中枢を担う者たちだったということだ。彼らにとって下山は邪魔な存在となっていた。

こう言ってしまうとストーリーとして美しすぎるかもしれないが、僕にはとてもしっくりきた。実行犯は激情に駆られた不逞の輩にすぎないのかもしれないが、真相が暴かれると、その背後にある古くからの利権構造まで明るみに出てしまう可能性がある。その構造を守ろうとした者たち−−下山を邪魔に思っていた者たち−−が、最初は犯行を黙認し、その後はあらゆる手段を尽くして真相解明を阻止しつづける。

とっても複雑です

例によってダラダラと長文になってしまったが、これでもほとんどの部分を端折ってきた。犯行場面にはまったく触れなかったし、GHQ内部のことや各工作機関の詳細についても省いた。松本清張が主犯と断定した(?)キャノン機関にもほとんど言及しなかったし、この本のキモでもある著者の祖父と彼が所属していた亜細亜産業についても……。

それだけ情報量の多い労作だということだ。これだけ時間をかけてメモを綴っても、僕の頭に残っているのはこの本のいったい何%なんだろうとため息が出るくらい。だから仮にこのメモを読んでからこの本を手に取る人がいたとしても、興がそがれることはまずないと思う。…まあ無用の心配だけど。

最後にもう一つ。

ここまで触れることができなかったが、著者は、この事件の登場人物の多くが満州鉄道人脈であることを指摘している。関東軍による張作霖爆殺事件とこの事件との類似性まで論じているのだ。つまり、旧日本軍の残党(と言っていい人)たちが戦後日本の利権構造にも食い込んでいた。そして、全員とは言わないが、その中には日本の再軍備を目ざして活動する国粋主義者もいたという。なんとも恐ろしい話だ。

彼らは誰も罰せられることなく、その後の日本でも影響力を持ち続けたわけだ。GHQの方針が変わっていなかったら、そして下山が生き続けて構造改革をやり遂げ、それに続く人材が各分野に登場していたら、どんな日本になっていただろう。そう思わざるをえない。

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