2023年のイギリス・フランス・ベルギー合作映画。
監督:ケン・ローチ
脚本:ポール・ラヴァーティ
出演者:エブラ・マリ、デイヴ・ターナー 他
第76回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品。
第77回英国アカデミー賞では英国作品賞にノミネートされた。
ケン・ローチ監督の生涯最後の作品になると思う。

久しぶりに劇場で映画を観た。
最後に観たのは『福田村事件』で、2023年9月のことだったから、2年8か月ぶり。
目次
寂れた田舎町を包んだヘイト感情
イングランド北部の炭鉱の町が舞台。前二作は北部の都市ニューカッスルが舞台だったが、今作はその近くにあるもっと田舎の町の話だ。たしか町(村?)の名前が「オールド・オーク」だと言っていたと思う。
難民の受け入れ先と化したかつての炭鉱町
かつては炭鉱の町として賑わい、活気に満ちていたその町は、今ではすっかり寂れてしまい、その面影もなかった。男たちで賑わったパブも次々と廃業し、いまやT.J.バランタインが経営する「オールド・オーク」が残るのみだった。顔ぶれもほとんどいつも同じで、この町で育ち、この町で結婚し子どもを育て、今は引退した初老の男たちばかり。みんな若い頃からのT.J.の友人たちである。
廃れる一方の地方の町は、いつの間にか難民の受け入れ先となっていた。映画は、シリアからの新たな難民家族の到着シーンから始まる。
町にはボランティアで彼らをサポートする人間がいる一方で、古くからの住民の多くはあからさまに迷惑そうな顔をする。面と向かって暴言を吐く者もいた。典型的なヘイトスピーチの数々。「オールド・オーク」の常連客——T.J.の旧友たち——もそうだった。T.J.はそんな住人たちの姿に苦々しさを噛み締めている。
T.J.が難民家族に同情的なのは一目で分かった。ボランティアのローラを手伝って一家の引っ越しを手伝っていたから。だが、そんな彼も言葉に出して住民たちをたしなめようとはしなかった。小さなコミュニティの中で波風を立てたくなかったのだろう。それに、そこにいるのは自分の店の上顧客でもあった。これ以上売上が落ちれば店を続けることができない——彼のパブもギリギリの経営状態だったのだ。
T.J.とともにこの映画で重要な役割を果たしているのが、シリア人家族の長女・ヤラだ。母親と三人の子どもの四人家族。弟・妹とは少し年が離れていて、彼女は(たぶん)成人していて英語も自由に話せる。
到着早々、彼女は町の若者にからまれ、大事にしているカメラを壊されてしまう。弁償させるため、その男の名前を教えてもらおうとオールド・オークのT.J.を訪ねてきた。
かつては労働組合が生活の中心にあった
しかし、T.J.は知らないとシラをきる。身内を売ることになると心配したのだろう。その代わり、ヤラを店のバックヤードに連れて行き、死んだ(?)兄が使っていたカメラを見せる。街のカメラ屋にこれを持っていけば、修理代になるだろう、と。
バックヤードと呼んではいたが、以前はホールとして使っていた広々としたスペースだ。客が減って無用の長物となり、閉鎖してしまったのだった。
壁には、おそらくT.Jの兄が撮った写真が所狭しと飾られていた。労働組合の集会やイベント、町の祭り…。若者や子どもたちの笑顔が溢れている。今の町の印象とはまったく違って、みんな若々しく、活気に満ちていた。ヤラは興味深そうに一枚一枚ゆっくりと見ていった。
つい最近観た映画『パレードへようこそ』を思い出した。2014年の英国映画だ。
あの映画が描き出したのは、地方の炭鉱町の最後の徒花とも言える長期ストライキ(1984〜85年)中の出来事だった。あの時代までは、炭鉱町の住民の中心にあったのは間違いなく労働組合だった。それから30年後のオールド・オークの町には跡形もないが、古い写真の中に当時の空気がそのままの質感で残されていた。
直ったカメラでヤラは町や人々を写真におさめていく。それが評判になり、彼女は少しずつ人々に受け入れられていった。『パレードへようこそ』でもそうだったが、こういうときにまっさきに変わるのは女性だ。「私も撮って」と声をかけてくる。
ヤラは積極的に町の行事に関わるようになり、それを通じて、自分たちのような難民・移民だけでなく、古くから町に暮らしてきた人たち(やその子どもたち)の中にも生きづらさを感じている人がいることに気づく。「引きこもり」となって、前に進めなくなっている人が少なからずいるのだ。
困っている人には、優しい言葉の前に、美味しい食べ物
“困っている人には、優しい言葉の前に、美味しい食べ物”
というのがヤラの母の、そしておそらくシリア国民が共有する教えだった。
実際、T.J.が愛犬を喪って落ち込んでいたときも、母親と作った料理を持って彼を訪ね、「食べ終わるまで帰らない」と言って微笑んだ。
そしてT.J.が元気を取り戻すと、ヤラは日本でいう子ども食堂のようなものができないかと提案する。引きこもっている人たちに声をかけて、オールド・オークで和気藹々と食事をしてもらおうと。
人口が減って、近隣の教会や労働組合にも人が集まれる場所はなくなっていたから、そんなことができるのはオールド・オークの開かずの間(=バックヤード)しかなかった。食材は教会と労組が支援してくれるという。
食事会は大盛況だった。
子どもたちは口々に「本当にタダなの?」「次はいつ?」「〜も連れて来ていい?」と聞いてくる。
だが翌朝(?)、大量の水濡れが発生し、バックヤードが使えなくなってしまう。修繕する蓄えなどT.Jにはなかった。
水漏れ事件には裏があったんだが、それについては割愛する。
難民との融和が順調に進んでいるかのように見えたが、排斥感情というのはそんなに生やさしいものでもなくて…という話だ。ヘイトというのは、一度火がつくと、善良な市民にこんなことまでさせるのかと寒気がする。
ケン・ローチが最後に描いた希望
ちょっと前のケン・ローチなら、この不穏な空気のまま幕を引いていたのかもしれない。弱者はいつまでたっても弱者のまま袋小路から出られない、という悲観的で突き放した終わり方。
『わたしは、タニエル・ブレイク』では、ダニエル・ブレイクの葬儀でケイティが心からの美しい弔辞を捧げ、けっして幸福な最期を迎えたとは言えない彼の魂をすくい上げてくれたが、『家族を想うとき』では、車を急発進させたリッキーのその後は描かれなかった。おそらくほとんどの人はさらなる不幸への転落しか思い描けなかったはずだ。
しかし、どう考えてもこの作品が生涯最後の監督作となるであろうケン・ローチ(撮影時87歳)は、『わたしは、ダニエル・ブレイク』以上に希望を感じさせるラストを用意してくれた。
『わたしは、タニエル・ブレイク』と同様に葬儀のシーンだった。
この町にやって来たときから、ヤラの一家に父親の姿はなかった。長らく行方不明になっていたのだ。しばらくして、父親が収容所で生きているという情報が入り、家族は大喜びする。が、その直後、亡くなったという知らせが入った。
遺体も遺骨もない葬儀がヤラの家で執り行われた。
ダニエル・ブレイクの葬儀も参列者の少ない寂しいものだったが、ヤラの家に集まったのもT.J.のほかわずかな人々だった。
と、思ったら——
町の人々が次々にささやかな花束やカードを持ってやってきた。親しく接した人はヤラや母親に手渡しし、黙ってハグをする。そこまで親しくない人は、玄関の横に花束を供えていく。みるみるその数が増えていった。
これはジンと来た。
シリアの葬式の流儀などみんな知らない。「何を持ってきたらいいのか分からなかった」と戸惑いを見せながらも、思い思いに花や手書きのカードを手にして集まってきたのだ。
ちょっと出来すぎではあるけれど、胸に響くシーンだった。
前にも書いたように、この映画は『パレードへようこそ』と重なる部分が多い。
あちらはウェールズでこちらはイングランド北東部だが、どちらも炭鉱町が舞台。時代が違うから描き方は異なるものの、どちらの映画からも、労働組合が地域住民の拠り所となっていた時代の空気がはっきりと伝わってきた。
最後の大団円の作り方もよく似ていた。
かたやLGSMのメンバーとともにプライド・パレードを歩こうと遠路はるばるバスを連ねてやってきた炭鉱労組員の大男たち、かたや悲しみに暮れる難民家族の葬儀に思い思いの花束を持ってやってきた近隣住民たち。偏見を乗り越えて生み出された連帯の力強さを数のインパクトで表現していた点はまったく同じだ。
そして、異質な人たち——『パレードへようこそ』では同性愛者、今作では難民——を受容するのは、いつも最初は女性たちだということも共通していた。
①連帯
ケン・ローチは最後に“人間には「連帯」する力があるじゃないか”と言いたかったのではないだろうか。
ヤラたちが新たに作って住民に贈った労組旗——だったと思う——の一番目立つところに書かれていたのが「solidarity(連帯)」の文字だった。
イスラエルによるガザでのパレスチナ人虐殺が始まって以来、(自分にとって)「solidarity(連帯)」はもっともよく眼にする英単語の一つになっている。あの蛮行への抗議運動を報じる英語のニュースやSNSの投稿、そして添えられた写真の中で人々が掲げるプラカードにこの言葉が頻繁に使われているからだ。「パレスチナ人に連帯します」。受験勉強で覚えたあと久しく忘れていたが、暗記したときとはまったく違う深さで胸に刻み込まれた言葉である。
旗の一番上にその言葉を見つけたとき、ぐっと来るものがあった。
労働組合の衰退とともに、イギリス人が「連帯」を実感できる場がなくなった——ケン・ローチはそう感じているのかな、と思う。前作『家族を想うとき』は、個人営業の宅配業者であるリッキーがたった一人で全てを抱え込み、負のスパイラルに嵌まり込んでいく話だったし。
でも、ほんの40年前には労働組合が弱者をつなぎ、連帯という武器を人々にもたらしていたのだから、まずその頃を思い出そう、ヒントはそこにあるはずだと言っているように思えた。
もちろん、産業構造も年齢構成も変わってしまった今、労組が昔のような求心力を発揮することはできないだろう。隙間を埋める別の何かをいくつも生み出さなければならないかもしれない。ただ、そうやって補い合いながら、人と人とが連帯する力を取り戻すことができたら、このクソのような状況を変えることができるはずだ、と。
『家族を想うとき』ではあえて明言しなかったけれど、最後にやっぱり自分なりの答えを示しておきたいと考えたのではないだろうか。
②まずは美味しいものをみんなで食べよう
一つひとつ覚えているわけではないが、この映画には心に染み入るセリフがいくつもあった。「言葉より食べ物」(意訳)もその一つだし、「食べ終わるまで帰らない」というヤラの言葉もとてつもなく優しい響きを持っていた。理屈もへったくれもないけれど、きっと正しいと思わせる力があった。
とりあえずみんなで美味しいものを食べよう
これもケン・ローチが最後に言っておきたかった大事なメッセージなのではなかろうか。理由はよく分からないけれど、そこから希望が生まれるんだよ、と。
ちょっと思い出したことがある。
韓ドラや韓国映画で必ずと言っていいほど耳にする言葉に、「飯は食ったか」「ごはんを食べていけ」がある。まだ貧しかった時代の地方在住者が年下の相手によく言う言葉という印象だが、とにかく頻繁に耳にするから、「モゴ」とか「モゴッソ」という韓国語はすぐに聞き取れるようになった。
ただの挨拶なのかもしれないが、かなり本気で言っているように見える。日本にだって——あるいは世界中に——似たような風習はあるけれど、真剣度が群を抜いている感じだ。
この韓国人の心性と、ケン・ローチがシリア難民の振る舞いを通じて今作で描いたこと——この二つは底の部分でつながっていると思う。人類が身につけてきた知恵なのだろう。せっかく身につけたその知恵を、今世紀に入った頃から我々は忘れていたのかもしれない。だから、これももう一度思い出そう。
なんで日本公開までに3年もかかったんだろう
この作品は2023年5月のカンヌ国際映画祭に出品され、その秋に英仏で公開された。日本で公開されるのに3年もかかったことになるが、なぜこんなに時間がかかったんだろう。
深刻な社会問題を扱う重めのドラマだから、興行成績があまり見込めないのは分かる。しかし、日本でも急激に表面化してきたこの問題に関心を寄せる人は少なくないはずだ。しかも、脚本が秀逸で飽きさせないし、出演者の演技も——ケン・ローチの作品はいつもそうだが——素晴らしい。
それでもこんな扱いなのか、と思う。
調べてみたら、『わたしは、タニエル・ブレイク』は一年遅れで、『家族を想うとき』はその年のうちに日本でも公開されていた。『わたしは、タニエル・ブレイク』は本当に困ったとき/人の役に立たない社会保障制度の話、『家族を想うとき』は宅配事業者に強いられる理不尽な労働条件の話で、どちらも現実の社会で弱者を苦しめている深刻な問題を扱っていた。
なのになぜこの作品だけ3年も…。これって作品の内容云々より、日本の映画産業の衰退を表わしているのかもしれない。あるいは、イギリス以上に「連帯」の意義が見えづらくなりつつある日本の社会状況を。
2026年5月16日(土) KBCシネマにて鑑賞
