お気軽な話

“ALMAZ”という美しい曲がある

“ALMAZ”(アルマズ)という美しい曲がある。
とにかくメロディーが美しくて、しかも独特で、曲がはじまると何か別のことをしていても手を止めて聴き入ってしまう。

曲としてはとても単純だから、もしかしたら音楽的には何一つ語るべきことはないのかもしれない。でも、最初から最後まで完璧な連なりとなっていて、物語を感じさせる流れがある。そしてどの瞬間を切り取っても美しく、このままの形で天から降ってきたのではないかと思えてしまうほどだ。

作ったのはアフリカ系アメリカ人のジャズ/R&Bシンガー、ランディ・クロフォード(Randy Crawford)。20代中盤にザ・クルセイダーズにフィーチャーされて世に出た人で、その後、多くの大物ミュージシャンと共演し、ソロとしてもいくつものヒット曲を持っている。

“ALMAZ”はそんな彼女がはじめて発表した自作自演の曲らしい。1986年——このとき彼女は34歳——にリリースされたアルバム“Abstract Emotions”に収録され、そこから3番目にシングルカットされた曲だ。

たいていの人は一度ぐらいは聞いたことがあるだろうが、こんな曲だ。

本当にシンプルなバラードだ。ピアノのイントロは印象的ではあるものの素っ気ないと言っていいくらい飾り気がなく、でもそれがクロフォードの慈愛に満ちた歌唱を際立たせている。バンドをしたがえてリズミカルに歌う彼女はとても都会的な印象を与えるが、この曲でアルマズに語りかける彼女は、悲しみと優しさを湛えていて、人間としての懐の深さを感じる。

英語版ウィキペディアにはこの曲が英国チャートで4位を獲得したと書かれている。またBillboard Japanでも最高7位だったとあるが、たぶん日本で7位になったのは、フジテレビのドラマ『もう誰も愛さない』の挿入歌として使われた91年のことではないかと思う。僕にはこのドラマの記憶はまったくないのだが、相当な人気ドラマだったようで、この曲も話題になったらしい。そのお陰で僕の耳にも入ってきたのだろうと思う。

と、偉そうに書いてきたが、これらはここ数日ネットで調べて知ったことだ。
30年前に知り、美しい曲として記憶に残っていたことは事実だが、実を言うと曲名も歌手も、そして誰が作曲したかもずっと知らなかった。流れてきたら手を止めて聞き入るが、そこで終わり。そんなことを30年間繰り返していたのだ。

そして、ほんの2週間ほど前、なんの気なしにかけたジャネット・ケイ(Janet Kay)のCDにこの曲が入っていた。何年も前に買って、何回か聴いたきり久しく手にとっていなかったから、入っていること自体を忘れていたのだが、このとき改めてこの曲に魅了されたのである。

ただ、ジャネット・ケイの“ALMAZ”については後回しにして、先に別の話をしておきたい。この曲が生まれたときのエピソードについて。

英語版のWikipediaにも書いてある話だから、知っている人は知っているのだろうが、短編小説を一作読んだような、強い余韻の残る話だった。

Songfactsというサイトの文章を引用する。(訳は筆者)

クロフォードは、2008年10月27日のThe Daily Telegraph紙に、このバラードが生まれるきっかけとなった出来事について語っている。「(アフリカの)エリトリアから来た難民が私の家のドアをノックしました。彼らは隣に引っ越してきたばかりで、新たな隣人となった私を夕食に招待したいと考えたのです。もちろん私は行きましたが、彼らが出してくれたアフリカ料理は私の口には合いませんでした」。「妻は夫よりかなり年下でしたが、私は二人の完璧な恋愛を目の当たりにしました。この美しいカップルと赤ちゃん。難民である彼らは、『愛が生き延びる世界』を求めていたのです」。

このときエリトリア人の夫がクロフォードに、妻のことを歌にしてほしいと言う。その妻の名前がアルマズだった。アルマズは多くの言語でダイヤモンドを意味する言葉だった。彼女は快諾し、そして生まれたのがこの曲だ。

ところが、「私がこの曲を聴かせようと思って行ったら、彼らはまた引っ越していたのです。だから、私の知る限り、彼らはまだ一度もこの曲を聴いていません。」
(https://www.songfacts.com/facts/randy-crawford/almaz)

ジャネット・ケイのアルバムには歌詞カードがついていたし、YouTubeにアップされているランディ・クロフォードのオリジナルのいくつかにはスーパーで訳詞が出る。でも、訳詞を見ても、英語の詞を見ても、よく分からない部分が少なからずあった。

その最たるものが、上のインタビュー記事でクロフォード自身が引用している「愛が生き延びる世界」という歌詞だった。“Born in the world where love survives” ロマンチックと言えばロマンチックだけれど、どこかただならぬものを感じて、違和感があった。

しかし、アフリカから逃れてきた難民の隣人へ贈ろうとした歌なら、そういう言葉が出てくるのも理解できる。仲睦まじい夫婦の様子をを見て、実際にそう感じたのだろう。他にもあった雲を掴むような感じの歌詞も少し分かるような気がしてきた。

ただ、いまだに分からない部分もある。たとえば一度だけ急に出てくる“I look around is she everywhere”だ。彼女はどこにでもいる? 歌詞の脈絡を考えても、少なくとも僕には何を言おうとしているのか今も分からない。

と言うか、そもそも歌詞や記事をいくら読んでもアルマズがどんな女性なのかさっぱり分からない。歌詞には夫が彼女を「花だ、風だ、春だ」と絶賛する件が出てくるけれど、舞い上がりすぎていてなんのことか分からない。そしてクロフォード自身は“pure and simple”“young and tender”と抽象的な形容をしているだけで、あとは漠然とした想像を巡らせてばかりいる。具体的には何も語っていないのだ。

もしかしたらアルマズは英語がまったく話せなくて、ただ赤ちゃんを抱いて微笑んでいただけだったのではないか、と想像してみたりした。もっと悪い方向に想像の翼を広げると、クロフォードは二人の純愛を讃えながらも、実は幼すぎるアルマズに危ういものを感じていたのではないか、なんてことも考えてしまう。まあ、彼女は22年後のインタビューでも「二人の完璧な恋愛」と手放しで讃えているから、余計な心配なのだろうが。

それにしても、苦境を乗り越えてきた移民の夫婦のために作ったこの曲を、当の二人にまだ聞かせることができてないというクロフォードの言葉に驚いた。こんなに美しい曲ができたのに、そんなことってあるのだろうか。この曲を本当に理解し、味わうことができるのはあの夫婦だけなのに。

そもそもエリトリア人の夫婦がこの曲に気づかないなんてことがありうるのだろうか。タイトルやクロフォードの名前を目にしただけで、あるいは「アルマズ」と呼びかける歌声を耳にしただけでピンとくるだろうに。ただ、アメリカではシングルとしてはリリースされなかったらしいから、ありえない話ではないのだが。

いずれにしても、20年以上たっても二人からなんの便りもないという状況そのものが、移民の暮らしの過酷さを物語っているのかもしれない。メロディを聴いただけで息を飲むような美しさと悲しさを感じていたこの曲が、こうして現実の社会と地続きになり、また違った感情を呼び起こすようになった。

あくまでも個人の感想ですが。

次にジャネット・ケイの“ALMAZ”について。

前にも書いたように、“LOVIN’ YOU”という彼女のアルバムを久しぶりに聴いたのは2週間ほど前のことだ。その何日か前から「朝は正統派の美しい女性ボーカルが聴きたい」と思うようになり、でも、びっくりするほど手元に女性ボーカルものがなくて、あっという間に正統派というカテゴリーからはちょっとはずれるこのレゲエ・シンガーのアルバムの番が来たのである。

しかし、レゲエのリズムは軽快で心地よく、ジャネット・ケイの歌声もキュートで爽やかだから、思った以上に朝にふさわしいアルバムだった。

ところが10曲目がはじまった瞬間に空気が変わる。それが“ALMAZ”だった。

「えっ?」だったか「おっ?」だったか覚えていないが、それまでは静かな波の音に身を任せるようにぼんやりと聞いていたのに、突然五感のすべてを吸い寄せられるような気がした。“ALMAZ”という曲との本当の意味での出会いはこの瞬間だったのかもしれない。

何度もこの人の“ALMAZ”を聴く一方で、ネットでこの曲について調べはじめた。そうやってランディ・クロフォードのオリジナルを改めて聴き、歌詞を読み、先ほどの記事を見つけたというわけだ。

ジャネット・ケイの“ALMAZ”には、おそらく意識してクロフォードとは違う言葉で歌っている部分があって、それが“I look around is she everywhere”のところだった。クロフォードがeverywhereと言っているのは間違いないし、Songfactsで紹介されている歌詞にもそうある。ところが、ケイは“I look around but is she ever there”と歌っている。クロフォードのほうは「どこにでもいる」としか取りようがないのに対し、ケイのほうはそうとも取れるが、わざわざbutという逆説(否定的な)の接続詞を置いていることから「どこにもいない」、つまり「見たことがない」と言っているようにも思える。未来形でもないから、いつか彼女がいなくなるという話をしているのでもないだろう。歌詞カードの訳詞も「でも彼女は本当にいるのかしら?」となっていて、ほとんどちゃぶ台返しのように一瞬でミステリアスになる。

もっともその直前で“Now I watch closely. And I watch her only.”と言っているから、考えすぎなのだろうが。

ついでに言っておくと、“LOVIN’ YOU”の歌詞カードは、英詞がケイの歌と違う部分があって、あまり信用できない。たぶん誰かが音源を聴いて英語に起こし、それに訳をつけたのだろう。ただの聞き間違いだろうと思える部分が何箇所もあった。でも、この部分は歌と歌詞カードが一致している。

すっきりしなかったので、クロフォードがこの曲を最初に収録したアルバム(“Abstract Emotions”)を取り寄せてみたが、歌詞カードは入ってなかった。おいおい。

正直なところ、実態がまるで分からないアルマズのことを考えると、「どこにもいない」と言われるほうがしっくりくるのだが、やっぱ、それはないか。

もう一つ、アレンジについて。

このアルバムは、さまざまな名曲をジャネット・ケイ色のレゲエに焼き直したもので、どの曲もオリジナルと雰囲気ががらりと変わり、その変わりようが大きな魅力となっている。

その点はこの曲も同じなのだが、他の曲がどれも都会的に洗練されたレゲエになっているのに対し、この曲だけかなり毛色が違う。音楽の素養がなくて勘違いしているだけかもしれないが、なんつーか、シルクロードの香りを感じるのだ。久保田早紀の『異邦人』に通じるようなエキゾチックな雰囲気がある。管楽器が哀愁のこもった旋律を奏で、異国情緒をかきたてる——そんなかなり特殊なアレンジが施され、もともと哀感を湛えたメロディがさらに際立つのだ。

歌詞の差し替えにどういう意図があるのか分からないし、曲の雰囲気もずいぶん異なるけれど、ジャネット・ケイの“ALMAZ”もクロフォードのオリジナルに匹敵するぐらいよく出来ており、聴くに値すると思う。

詳しく調べたわけではないけれど、1979年に一躍スターダムに駆け上がったランディ・クロフォードのピークは、それほど長く続かなかったようだ。86年の“ALMAZ”は、一度忘れ去られた彼女に久々のスポットライトを当てる機会となった。とは言え、ヒットしたのはイギリスとアイルランドだけで、大陸ではパッとせず、前にも触れたように母国アメリカではリリースさえされなかったらしい。けっして世界が温かく彼女の再登場を出迎えたわけではなかったということだ。

その後もレコード(CD)は出しているし、大物シンガーであることに変わりはなかったのかもしれないが、80年代初頭の華々しさを取り戻すことはなかった。

実は個人的にも彼女の代表作といえばジョー・サンプルと組んだ“One Day I’ll Fly Away”(1980)や“Street Life”(1979)のほうが思い浮かぶ。ジャズとかR&Bというよりポップスというほうがふさわしい、ゴージャスでキャッチーで都会的な曲。“You Might Need Somebody”(1981)や“Rainy Night In Georgia”(1981)といった少し泥臭い曲もいいけれど、彼女らしいと感じるのは、やはりはじめに挙げた2曲だ。

“ALMAZ”という曲が彼女の歌手人生においてもきわめて特殊な存在であったことが分かる。自作したということ自体が珍しいし、曲調も他の曲とはかけ離れている。一方で、もし“ALMAZ”を生み出していなかったら、彼女はもっと早く、そして完全に忘れ去られていたかもしれない。91年の日本でのヒットもなかったわけだし、何百万回もYouTubeで再生されることもなかったわけだから。2021年に僕が彼女を思い出すこともたぶんなかった。

とても不思議な縁のようなものを感じて感慨深い。

英語版Wikipediaの彼女のページの最後に、これまた「え?」と叫びたいようなことが書いてあった。DeePLに訳してもらったので、それを貼り付けておく。

ランディ・クロフォードは2018年10月にケープタウンとプレトリアで “The Farewell South Africa “ツアーを行うことになっていたが、彼女が脳卒中を患ったためにキャンセルされた。 これがクロフォードの引退前の最後のパフォーマンスとなるはずだった。

彼女は1952年生まれだから、まだ70歳にもなっていない。66歳で引退を決意したこと自体が早すぎるのに、最終公演さえできなかったというのは不憫だ。

そして気になるのは、その後エリトリアからの移民家族に会えたのかということだ。ある意味で彼女に奇跡をもたらした人たちだから、会いたかったに違いないのだが。