ミステリーファンではないけど、刑事ものは好きです。
ミステリーファンと言えるほどたくさん読んでいるわけではないし、とくにこの何年かは、ミステリーに限らず小説にはほとんど手が伸びなくなってしまった。でも、たまに読みたくなる。たぶんその瞬間に求めているのは、その小説の世界にどっぷり浸かって、いわゆる「巻を措く能わず」の状態に身を置くことだ。ソファに寝そべって読み始め、そのままテレビも点けずに読み耽り、寝る時間になってもベッドの中で読み続ける。
普通の小説だと(僕の場合)なかなかそうはいかないのだが、その点ミステリーは確率が高い。
ミステリーの中でも、刑事ものに惹かれる。何故なんだろう。警察が好きなわけではないのに。たぶん、自らも権力者である主人公の刑事が、さらに強い権力者から抑圧され、そうした障害に抵抗しながら捜査を進めていくところに魅力を感じるのだろう。犯人よりも悪い奴が警察組織の中にいたりする。だから、組織の中心にいるような人間が主人公のものには関心が持てない。テレビドラマでも刑事ものはあるけれど、そういう複雑な組織の力学が凄みをもって描けているものは少なくて、だいたい期待外れに終わる。やっぱり小説。
主人公の刑事のストレスがリアリティをもって伝わってきて、そこに感情移入できるのは、やはり小説に限る。
この小説も、刑事が主人公だったから買い求めた。作者の中村文則の政治的な発言をいくつか目にして好感を持っていたというのもあるけれど、刑事ものだったから買ったのだし、読み始めたのだ。
刑事ものだけど、超越しすぎ。
しかし、刑事ものミステリーと言うには、この本の世界は深くて複雑すぎる。
前半は良かった。登場する二人の刑事も魅力的だし、ちょっと類型的だけど権力闘争もあって、主人公の刑事たちは不遇をかこつ。でも、権力闘争にうつつを抜かしている連中に解決できるほど事件は単純なものではなくて、どんどん謎が深まっていく。なかなか全体像が見えない中で主人公の二人が一歩ずつ真実に近づいて行く。だけど、それらは結局のところ狂言回しでしかない。
最後の第三部では彼らはほとんど登場さえしない。160ページにわたる第三部はほとんどすべてが犯人の手記で、真相はその中で明らかになるのだ。それ以外に種明かしのしようがないほど複雑で奥深い世界が描かれているのだが…。
ミステリーとして第三者(刑事/読者)に推理できることは限られていて、その「わからなさ」はある程度単純でないと成り立たないということなのだろう。何かで真実が覆い隠されているわけだが、その何かを取り除いたら、基本的には一目で真実が理解できないとすっきりした解決にはならないのだ。バラバラに見えていた点と点が一直線に結びつく。でもこの小説が描いているのは、線を一本つなげて理解できるような世界ではない。
幼児期に味わった喪失、虐待を発端とした精神的なダメージを登場人物の多くが抱えていて、それがいくつもの死をもたらす。連続殺人事件のようにも見えるが、実はそうではない。しかし、すべてがつながっている。前半で推理されたことは次々に覆され、結局、推理ではとても手の届かないような、人間の業とでも呼ぶべきものが明らかにされていく。
重量級。
僕が刑事ものミステリーに求めているのは、犯人の手記でないと解き明かせないような重量級の謎ではないので、延々と続く手記の部分は「おいおい」と思いながら読んでいたんだけれど、それでも最後まで「巻を措く能わず」だったのも事実。ここまで複雑な犯罪を構想し文章にできるというのは、やはりすごいことだよなと思う。
(毎日文庫2018年)