2018年韓国tvN(ケーブルテレビ) 監督:キム・ウォンソク 脚本:パク・ヘヨン 出演:IU(アイユー)、イ・ソギュン、 パク・ホサン、ソン・セビョク、イ・ジア、コ・ドゥシム 右は韓国tvNの番宣ポスター(?) |
とんでもなく面白かった。
アマゾンのプライム特典(無料)で見つけたのはたしか10月の終わりで、それから1カ月ほどの間に3回も観てしまった。1話が1時間15分〜30分で全16話、合計すると20時間を超える長尺ドラマを、はじめから最後まで3回。我ながら呆れるほどのハマりようである。
でも、どこがどう良かったのかを説明しようとすると、これがなかなか難しい。なにしろ二つの話が平行して語られていくうえに、メインの話は何度も方向転換しながら進むから、ストーリーをかいつまんで紹介するだけでも一苦労だし、苦労して端折れば端折るほど、そこからは何も伝わらなくなってしまう。
だからこの投稿も、書いては修正し、書いては修正しの繰り返しで、時間ばかりがかかって進まない。言いたいことが言えたという気持ちになかなかならないのだ。
物語と登場人物
あらすじ?
それでもまずは「あらすじ」から——
これ以上はないんじゃないかと思えるぐらい不幸な境遇のもとに育った少女——と言っても21歳の成人だが——がいて、この子は十代の頃から借金返済に追われ、貧困にあえぎながらアルバイトを掛け持ちしてなんとか生き延びてきた。心が完全に荒んでいて、人を傷つけることはもちろん犯罪をも厭わない。
派遣の雑用係として採用された大手建設会社で、彼女は荒稼ぎを企む。大金と引き換えに自分の上司を失脚させるという取引を社長に持ちかけたのだ。社長の秘密を握っていたから、社長も断れない。
だが、陰謀を仕掛けようと上司に近づくと、これまで見たこともないようなまっとうな「大人」であることが分かってくる。社内でも、派遣に過ぎない自分を人として対等に扱ってくれる。プライベートでも彼女を気にかけ、手を差し伸べてくれる。彼の言葉や行動の一つひとつが、徐々に彼女の心に沁み入ってくる。そして、凍りついた彼女の心がゆっくりと氷解していく。
その一方で、彼が深い苦悩を抱えていることも分かってきた。彼女は一転して彼を守る行動を取り始める。最後には自分が警察に出頭し、社長の罪を暴く。
こうした経過をたどって、彼女の荒んだ心が再生されていくのと同時に、生きる希望を持てずにいた上司の心にも灯がともる。上司が彼女にそうしてくれたように、彼女も上司を励まし続けたからだ。
と、まあ、メインストーリーはこんな感じ。これはピカレスクかと思うほど最初は悪事と陰謀が渦巻いて緊迫するが、やがて心温まるヒューマンドラマに変身していく。
メインストーリーの傍らで、それと交わるようで交わらない、微妙な位置関係にある物語も進行する。こちらは昭和のホームドラマのようなとりとめのない人情喜劇。なんだかよく分からないが、とてもいい味を出していて、メインの話の緊迫感を一気に解きほぐしてくれる。このパートがなくてもドラマは成立するような気がするが、これがなければ、間違いなくもっと線の細い作品になっていたはずで、このドラマの不可欠の構成要素となっていることは確かだ。
二つの舞台
二つの物語について少し説明しておきたい。
両者は舞台も別々で、片やソウル都心にある一流企業、片やソウルの片隅に取り残されたような庶民の町・後渓(フゲ)である。
建設会社サムアンE&Cを舞台に描かれるのは、役員たちによる絵に描いたような派閥抗争である。高学歴高収入の大の大人たちが、子どもの喧嘩のような足の引っ張り合いに明け暮れている。実にくだらない。ただ、物語はこの騒動を発端としてさまざまに展開していく。イ・ジアンとパク・ドンフンという二人の主人公がこの抗争に巻き込まれ、やがて渦の中心へと押し出されていくのだ。
一方の後渓(フゲ)は、ドンフンが生まれ育った町である。数十年前に時計の針が止まってしまったかのように、古い家並みと人情味あふれる人間関係が残る町。実在する地名ではないらしいが、そこに暮らす天然記念物のような人々の日常が、愛情たっぷりに描かれている。ドンフンは結婚してもその町に住み続け、実家には今も兄と弟が暮らしている。三人の周りには幼馴染の気のいい仲間が集まり、悲喜こもごものドタバタを日々演じている。
二つの舞台はまったくの別世界で、語られるエピソードもまるで毛色が違う。前者は(役員たちはアホばかりだが)外部の悪人も加わりサスペンス風味たっぷりに進行するが、後者は何が起こってもどこかクスッと笑える、ほのぼのとしたホームドラマだ。
しかも、二つの世界は最後まで交わることがない。ドンフンとジアンが両方に登場すること以外は接点らしい接点もなく、まるで無関係な話がそれぞれに進行していくのだ。どこかで話がつながって壮大などんでん返しを生むのかと思っていたが、最後までそれはない。人情が派閥を粉砕するわけではないし、派閥抗争が懐かしい町を破壊するわけでもない。
とても不思議な構造だと思うが、もっと不思議に思えるのは、主人公の二人が、二つの世界で雑多なエピソードに絡みながらも、またさらに違う別の物語を紡いでいくことだ。そして、この二人だけの物語こそ、このドラマの核心に他ならない。
二人の主人公
パク・ドンフン(イ・ソンギュン)
大手建設会社の部長職にある構造エンジニア。45歳男性。この人がタイトルにある「おじさん」である。学歴も高く高度な専門技術を持ち、しかも一流企業の部長なのだから、世間的に見れば立派な勝ち組だろう。美しい弁護士の妻がいて、一人息子を海外に留学させるほど経済的にも恵まれている。優秀で、穏やかで、品行方正——まっとうな人生を歩んできた、きわめて真面目な男なのだ。だから部下からも慕われるし、親兄弟からも期待されてきた。
なのに、いつも彼は「ここは自分の居場所じゃない」という違和感を抱え、うつろな目をして生きている。理不尽なことがまかり通る日々の生活が息苦しい。周りを失望させないように我慢して生きてきたが、限界が近づいていたのだろう。重い身体を引きずるようにして通勤していた。
イ・ジアン(IU)
派遣社員としてドンフンの下で働く21歳の女性。ドンフンから見ればまだ子どもに過ぎないが、借金返済に追われる悲惨な日々を送っている。死んだ両親の借金をすべて背負わされ、悪徳金融業者が執拗に取り立てにやってきて、暴力までふるう。路地の奥の薄汚い部屋に住み、アルバイトを掛け持ちし、ギリギリまで生活を切り詰めても、残金はなかなか減らない。そのうえ身体の不自由な祖母の面倒まで見ている。
ジアンにはもう一つ重くのしかかるものがある。かつて殺人を犯したという暗い過去だ。まだ中学生のころ、祖母に暴力をふるう金融業者を包丁で刺し殺してしまったのだ。正当防衛だったのに、その後の人生ではどこに行っても「人殺し」のレッテルがついて回った。
社会の理不尽を一身に負わされたような人生である。
貧困と不幸のどん底で、彼女は社会に対して固く心を閉ざしていた。敵意を抱いていたと言ってもいい。金のためならどんな仕事でもするが、他者と良好な関係を築こうという気持ちはさらさらない。誰に対しても、挨拶もしなければ、ほとんど口もきかず、たまに口を開いても、出てくる言葉には刺すような悪意が込められている。立居振る舞いも粗暴そのものだった。
心を閉ざした二人が、陰謀渦巻く一流企業のオフィスで出会う。
悪人イ・ジアン 〜特異なヒロイン像〜
はじまりはかなりショッキングだ。
ヒロインのイ・ジアンが、いわゆるヒロインとは正反対の人間であることが、これでもかこれでもかと明かされていくからである。美しくもなければ、か弱くもない。明るくもなければ元気でもなく、優しくさえない。それどころか冷酷無情な本性を露わにしながら次々と悪事を働いていくのである。(右の写真はMETTAメディアより)
彼女の悪事は、ドンフンに送られてきた賄賂を盗むところから始まる。成り行きで彼女はこの金(商品券)を手放さざるを得なくなり、それが回り回ってドンフンを罠から救うことになる。経緯を知らないドンフンに逆に感謝されるという皮肉な結果に終わるのだが、それくらいで情が湧くようなヤワな心の持ち主ではない。
彼女はすぐに次なる行動に出る。
社長のト・ジュニョンとドンフンの妻ユニが不倫していることに気づくと、社長にそれを突きつけて取引を持ちかけるのだ。半ば脅迫だった。パク・ドンウン常務とドンフンの二人に罠をかけて失脚させるから、報酬として一人当たり1,000万ウォン(約100万円)支払えと迫る。パク常務は反社長派の中心人物である。ジュニョンがもっとも追い出したいと考えていたのがこの二人だった。
役員たちはおっかなびっくり相手をつつき合うだけだったが、ジアンは情け容赦なかった。まさに金のためなら何でもする。さっそく常務を左遷に追い込んだ。次はドンフンである。
こうしてドンフンを陥れるために彼女は行動を始める。彼女にとってドンフンは大金を得るためのカモでしかなかった。彼がどうなろうと知ったことではない。そして、ドンフンのほうはジアンの悪意や冷酷さに気づいていない。彼女の無礼さと突飛な行動に戸惑いながらも、上司として公正に接しようと努めている。
こんな感じで序盤の3話ぐらいはほとんどピカレスク物として進んでいく。描かれているのは冷酷な悪事ばかりだ。ヒロインであるはずのジアンがヒーローであるはずのドンフンを何のためらいもなく陥れようとする。ひたすらダーティで悪知恵が働き、顔色ひとつ変えずに悪事をこなしていくのだ。彼女が画面に出てくるだけで胸がざわざわして、とても感情移入などできない。また、ドラマがどういう方向へ進んでいくのかも見当がつかない。
ヒロインだけでなく、ヒーローもヒーローらしくない。自分の身に何が降りかかっているのか分からず、ただ戸惑うばかりだ。悪人イ・ジアンに完全に主導権を握られ、ただ呆然と立ちつくしている。
これがこのドラマのスタート地点である。漂う空気は不穏そのもので、印象としてはひたすら暗く重苦しい。しかし、第4話あたりから新たな展開が始まる。このドラマの本当のストーリーが動き出すのはここからである。
盗聴という舞台装置
何がきっかけとなって物語が動きはじめるのかと言うと、盗聴である。ドンフンを陥れるためにジアンがまず始めたのが盗聴だった。彼の行動を把握し、弱みを握ろうと考えたのだ。彼のスマホに盗聴アプリを仕掛ける。
スマホのアプリで盗聴するということ
盗聴というと、今までならターゲットの居室や固定電話に盗聴器を仕掛け、そこで交わされる会話を傍受するというのが通例だった。しかし、つねに持ち歩くスマホを通じて音を拾うと、ターゲットのほとんど全生活をカバーできる。ターゲットがスマホから離れない限り、すべての音を聞くことができるのだ。
会話や通話の中身だけではく、どこで何をしているのかがだいたい分かる。無言であっても周囲の物音で見当がつくからだ。電車に乗っているのか路上にいるのか、オフィスなのか自宅なのかは、聞こえてくる音で判断できる。前後をトレースすれば場所もかなり正確に特定できるし、状況も想像できる。
そればかりか、ドンフンはいつもスマホを胸ポケットに入れているから、独り言やため息、さらには呼吸の乱れや靴音までがはっきり聞こえてくる。情報としては価値のないものかもしれないが、そこから彼の内面が垣間見える。肉体が発するこうした無意識の悲鳴が、心情を表に出さないドンフンの心の揺れを映し出す。
受信する側もスマホである。ジアンはほとんど一日中その音声を聞いている。日中はイヤホンで、家ではスピーカーにつないで。リアルタイムで聞けない場合は、保存された音声ファイルを再生すればいい。とにかく聞く。聞き続ける。
ドンフンが発する言葉や身の回りの音がジアンの生活の大きな部分を占めるようになる。そして、ここから変化が始まる。
聞こえてくるのは…
ドンフンの弱みを握り、騒ぎを起こすために盗聴を始めたのに、つけいることができそうな隙は何一つ見えてこなかった。逆に誰が本当の悪者なのかが分かってくる。ドンフンはすでに謀略の餌食になっていたし、そのうえ妻の裏切りにもあっていたのだ。他者に翻弄され傷ついていく彼の心が手に取るように伝わってくる。乱れた呼吸音、深いため息、不意に途切れる足音…たとえ無言であっても彼の発する音がそれを物語っていた。
しかし、そういう苦境の中にあっても、彼はつねに良心に従い、正しい行動を取ろうと努力を続けていた。彼のその姿勢にジアンは驚かされる。けっして楽な道を選ぼうとはしない。大樹の下に寄ろうとはしないし、長いものに巻かれようともしない。
そして、ドンフンがどんな場面でもジアンを悪く言わないことも分かってくる。彼女がその場にいなくても、誰に対しても彼女を擁護するのだ。自分が不利になるような場合でも、彼女の立場が危うくなるようなことは一切口にしない。それは、彼が自ら彼女に約束したことだった。それを誠実に守っているのだ。
逆に、本人の前では絶対に口にしないような言葉が漏れることもあった。「ある子が…」と名前を伏せて他の誰かにジアンの話をはじめる。彼女の境遇を心から哀れんでいることが伝わってくるが、本人に面と向かって言うような話ではない。そこにいないからこそ聞ける言葉だった。また、自分とはまったく関係のない会話がジアンの心に強く響く場合もある。そして、個々の言葉というより彼の行動そのものが、かつての自分の行動を肯定してくれているように感じる瞬間もある。
もちろん、盗聴だけが二人を近づけたわけではない。ドンフンは、ジアンの言動に振り回されつつも、現実の場面でもつねに彼女に対して公正で、親切だった。外で彼女を見かければ必ず労いの言葉をかけ、仕事の帰りに食事や酒をおごり、夜遅くなれば家まで送った。礼を言うべきときには言い、謝罪すべきときには謝罪した。ジアンの祖母のことを知ってからは、折に触れて気にかけ、介護施設への入所を手伝った。そして何よりも、目の前のジアンを信頼した。
しかし、盗聴によってジアンはその何倍ものものを受け取っているのである。見えない場所にいるときも、ドンフンはつねに公正で親切で、彼女を気にかけていた。だがその一方で、自らの苦悩に身悶えする様子も伝わってくる。彼の危険も察知できる。
盗聴は重大な犯罪ではあるが、こうして考えてくると、このドラマでは舞台装置として驚くべき機能を果たしていることが分かる。場所の制約を魔法のように取り払ってしまうのだ。ドンフンの「今、ここ」がジアンの「今、ここ」に取り込まれる。本来なら別々の場面として語られるべきものを、地続きのものとして一つのフレームの中で語ることができるのである。
ドンフンの言動をジアンが直接知るためには、言うまでもなく二人がいっしょにいなければならない。直接見聞きしていないものは、何らかの形で伝聞されて初めて知ることとなる。その場合、ドラマではその伝聞の過程——ドンフンが自ら打ち明けるとか、そこにいた誰かが証言するとか、撮影された動画や監視カメラの映像が明るみに出るとか——を具体的に説明する必要がある。しかし、盗聴という舞台装置を使えば、それが必要なくなるのである。見えないはずのドンフンの行動、聞けないはずのドンフンの言葉が、生の声と動作音としてジアンに伝わってくるのだから。しかも、そのままデータとして記録されていく。
イヤホンから聞こえてくる音声は伝聞ではない。言ってみれば、SFに出てくる空間移動に近い世界をスマホ1台で実現しているようなものだ。身体ごと移動できるわけではないが、別の場所で起こっていることを、自分も「今、そこ」にいるかのように知ることができる。
イヤホン越しにドンフンの言葉や彼が発する物音を聴きながら、ジアンは自分がまるで彼のすぐ側にいるかのような感覚に包まれている。本来なら見ることのできないもの、聞くことのできない言葉が、あたかも目の前で起こっていること、自分に向けて語られた言葉のように思えてくるのだ。魔法の仕掛けである。
彼女はつねにドンフンを間近に感じ、彼の言葉や行動によって少しずつ自己肯定感を高めていく。彼の音を聞くことが彼女の心の糧になっていく様子がよく分かる。その一方で、社長のジュニョンとの敵対関係や妻の浮気についての苦悩も伝わってきて、彼女は深く心を痛める。
こうして、ジアンにとってのドンフンは、罠を仕掛けて失脚させる対象から、自分のすべてを賭けて守る対象へと変わっていくのである。失脚させるべきはドンフンではなく社長のジュニョンだった。
語り手としての盗聴
音声を聞きながらジアンが陥る錯覚——「今、そこ」にいる——に、視聴者もともに没入できるということがポイントなのだろう。ジアンが聞き入るドンフンの声や生活音を、ジアンとともに視聴者も聞いているのである。「ジアンはドンフンの言葉を聞きながら徐々に心を開いていった」などと説明されるのではなく、ドンフンの音に耳を傾けるジアンの姿を、同じ音を聞きながら見守る。ジアンが聞いたものはすべてそのまま視聴者にも聞こえてくるし、聞いているジアンの表情を大写しで見続けるのである。
このとき、ジアンの表情を見続けているということも重要なポイントなのだろうと思う。視聴者とジアンが完全に一体化するのかというと、そうではなくて、ジアンにはけっして見えないものが視聴者には見えているのだ。それが音声に聞き入るジアンの表情である。語り手はジアンではない。盗聴という舞台装置そのものが語り手となって視聴者を導いているのである。
まったく感情を表すことのなかったジアンの顔に、わずかながら表情が浮かぶようになってくる。でもそんなわずかな動きでも、視聴者には彼女が何を感じているのか手にとるように分かる。同じ音を聞き、同じように心を動かされているからだ。ジアンとともにドンフンの言葉に胸を熱くし、彼の苦悩に心をいためる。そして、そうした感情の動きを経験する中で、彼女の凍りついた心がゆっくりと氷解していく様子を、同じ時を共有しながら彼女のすぐ側で見守っていく。
魔法の仕掛けによって実現する異次元の体験を、視聴者はジアンと共有しつつ、ジアンの変化を間近に見る。そこに、ただシーンを積み重ねて推理や証言でつなげるのとはまったく違うリアリティが生まれるのだと思う。それが得たことのない肌触りを視聴者にもたらす。この肌触りを感じ始めると、もう序盤に抱いた暗さ、重苦しさはどこかに消えてしまう。
そして、この肌触りが忘れられなくて、もう一度観たくなる。
盗聴が点と点を結ぶ
唐突に盗聴について力説してしまったが、それだけこの仕掛けが生み出す効果に感心してしまったということだ。もしこの斬新な表現方法がなければ、同じストーリーを描いたとしても、これほどの感動は呼ばないと思う。少なくともジアンの心の変化をこんなに繊細に描くことはできなかっただろう。
しかし、すべてが盗聴という異次元の世界の中で語られるわけではもちろんない。はじめに書いたように、サムアンE&Cと後渓(フゲ)という通常の世界の舞台がちゃんとあって、ドンフンやジアンも含めたたくさんの人々が、そこで起こる現実の出来事に右往左往している。物語はあくまでもそうした現実の世界の中で進んでいくのである。
あとで「心に残るシーン/言葉」を具体的に挙げるが、取り上げた14のシーンのうち盗聴の中だけで完結しているものは一つしかない。他はすべてジアンが実際にその場にいる現実の場面である。ただし、そのほとんどに何らかの形で盗聴が絡んでいる。盗聴によって得た情報がジアンを行動に駆り立てたり、イヤホンから聞こえてきたドンフンの言葉に応えるかのように、現実の場面でジアンが言葉をかけたり…。つまり、盗聴の世界が現実の世界を動かせていくのである。
前にも書いたことだが、盗聴という舞台装置がなければ、彼女に同じ行動をとらせるには、ドンフンの身に起こったことを誰かが彼女に知らせなければならない。まあ、取ってつけたような目撃者を登場させ、取ってつけたような伝聞のシーンを間に挟めばできないことはないが、たとえばドンフンと妻ユニが二人の家で繰り広げた修羅場など、誰も目撃者にはなりえない。そこでドンフンが漏らした弱音をジアンが知ることは不可能なのだ。
それが盗聴によって可能になる。ドンフンが怒りを爆発させてドアを拳で打ち破る音や、慟哭してユニを責める声をジアンは涙を流しながら一人の部屋で聞いていた。だから、後日、彼が何気なく発した一言があのときの弱音とつながっていることに気づくことができるし、間髪を容れずに強い言葉で彼を励ますことができるのである。そこに何の不自然さも感じない。
曖昧な言葉の裏に隠されたものが、そうやって点と点を結ぶようにつながり、明らかになる。そして物語が動いていく。
盗聴はジアンだけに与えられた舞台装置であり、ドンフンは(最終盤になるまで)その存在にさえ気づかない。彼はただ自分の生き方を貫いているだけなのだ。もし、ジアンがただ音声を聞くだけで何の行動も起こさなかったとしたら、おそらく彼女自身は救われただろうが、ドンフンは自分を保つことができず、すべてを失っていただろう。
しかし、ドンフンの言動によって救われていく自分に気づいたジアンが、今度は彼を救う側に回る。恩返しをするかのように、現実の場面で彼女はドンフンを励まし、窮地を救う行動に出るのだ。彼女のその変化にもまったく不自然さを感じない。取ってつけたような印象をまったく与えないのだ。
ふつうのドラマなら、何か分かりやすいきっかけがあって、その前後でまるで「使用前/使用後」のようにガラリと変わったヒロインの姿が描かれるだけだろう。しかし、このドラマは違う。ジアンがドンフンの発する物音に耳を傾けるシーンが繰り返し繰り返し画面に現れる。そして、彼の言葉、彼の行動の一つひとつが、彼女の心を覆っていた厚い氷を少しずつ融かしていくのである。その小さな変化が彼女の表情から見て取れる。それがあるから、彼女の行動の変化も自然と受け入れることができる。心から共感できる。
このように、盗聴という舞台装置が、ジアンの変化を生中継のようにリアルに映し出しながら、彼女を含めたさまざまな登場人物の言動を有機的につなぎ合わせ、その真意を明らかにするという機能を果たしている。すべての「今、ここ」が交差するのだ。伝聞で継ぎはぎをしてもこうはいかない。このドラマだけが持つリアリティがそこにある。
二人の主人公について、ふたたび
良い大人
主人公の二人はドンフン45歳、ジアン21歳で、歳の差があるとはいえ恋愛ができないほどではない。実際、ジアンはドンフンに恋をしていた。しかし、ドンフンは最後まで彼女をそういう目で見ることはなかった。二人に恋愛をさせればもっと華のあるストーリーにできたかもしれないのに、製作陣はそういう選択をしなかった。その意味でもとても珍しいドラマだと思う。
恋愛要素の代わりに持ち込まれたのが、後渓(フゲ)コミュニティのおっさんたちの人情物語なのかなと思う。メインストーリーのほうは見ていて辛くなることも多いのだが、合間にあの町のシーンが出てくると、ほんわり癒されてほっとできる。でも、あのパートにそういう心地よさを感じない人にとっては、このドラマはとことん辛気臭く、また説教臭い作品なのかもしれない。
ドンフンはひたすら良心に従って生きようとする男である。綺麗事と言えばそれまでだが、彼はそれを信条としてきた。波風が立てば、自分が我慢する。しかし、保身より良心を優先させる人間なんて、現実の世の中にはそういるわけではない。だから彼は自分のその生き方に押し潰されそうになっている。
一方、悲惨な境遇の中で生きてきたジアンは、人の良心というものに触れる機会さえなかったのだろう。祖母以外のすべての人間は敵であり、隙を見せれば何もかも奪っていく悪人に見えた。だから、奪われる前にこちらが奪う…そんな生き方しか知らないできた。彼女にとってはドンフンも、はじめはただの獲物だった。
しかし、盗聴を通じて、彼がつねに一人の人間として正しい行動をとろうとしていることに気づいていく。ジアンに対する優しさ、公正さも上辺だけのものではなかった。良き人であろうともがく大人に初めて接したのである。目の前にいなくても間近に感じることができるドンフンの言葉や行動が、彼女を励まし、勇気づける。そして、やがて彼女自身の中に自己肯定感が芽生えてくる。凍りついた心が体温を取り戻し、解き放たれていく。
辛気臭く、説教臭いけれど、やはり心が洗われる。
素直にそう思えるのは、たぶんドンフンに「教えてやる」という大人の奢りがないからだろう。彼は教えているのではなく、ただ自分の中にある良心を大事にしているだけだ。ジアンに同情し、救いの手を差し伸べるけれど、高いところに立って哀れんでいるわけではなくて、彼女のすぐ横に立ってその苦しみを分かち合い、彼女をそこから救い出そうとする。まあ、それが人間としての正しい振る舞いであり、大人のあり方なのだ。
そして、大人も無様に苦しむ。苦悩しながらも矜持を持って大人であり続けること——ドンフンが見せてくれたのはそういう姿勢だった。彼はヒーローらしいヒーローではなく、つまりは無敵のスーパーマンではないが、巷に埋もれた無名のヒーローの代表のような存在である。損な役回りになることを承知で、それでも正しいと思う道を選ぶ。それが一人の不幸な少女を救い、救われた彼女が彼を救う。
救済のキャッチボール
この、お互いがお互いを救済していくところもこのドラマの魅力だと思う。
ドラマはジアンの心の再生を丁寧に描いていくが、彼女にその力を与えるのは、矜持を持って大人として振る舞うドンフンの言動である。そして、彼女も必死に彼を励まし、助けようとする。人生に希望を持てなかった二人がそんなキャッチボールを繰り返し、お互いを救済していく。圧倒的な強者が弱者を一方的に救済するのではなく、傷ついた心を持つ二人の人間が共振し合うようにして立ち直っていくのである。
悪人だったヒロインが…
繰り返しになるが、ヒロインのイ・ジアンはとんでもない悪人として登場する。不幸な境遇のもとで心が完全に荒んでしまい、人を人とも思わず、冷酷非情で、顔色ひとつ変えずに罪を犯す。だから、はじめのうちは彼女が画面に現れるたびに胸がざわついてくる。しかしこの徹底した悪人ぶりが、後半になると意外な(?)効果を発揮しているように思える。
物語は、こんな彼女の心が少しずつ解きほぐされていく様子を描いていくのだが、変化は実にゆっくりと時間をかけて進んでいく。すっかり笑顔を取り戻した大人の女性として登場するのはエンディングの数分間だけで、そこまでは、(徐々に薄まっていくとはいえ)最初に登場したときの胸が悪くなるような彼女の面影をずっと残したままなのだ。しかし、だからこそ変化の大きさを実感できるし、ドンフンを危機から救う行動にもリアリティが生まれる。
(この辺りは実際にドラマを観ないと何の話か分からないかも。)
彼女はドンフンへの攻撃を途中でやめ、一転してドンフンを守る行動をとりはじめる。序盤で感じていた胸糞の悪さはその辺りで治まり、逆に悪人キャラが頼もしく感じられてくるから面白い。冷酷さも粗暴さも含めたところで、すべてがカッコよく見えてくる。
彼女がなぜ心を閉ざして生きてきたのかもだんだん分かってくるから、観る側はその点からも彼女を受け入れられるようになってくる。まあ、不思議といえば不思議な話だが、ジアンがはじめて頭を下げたとか、はじめて礼を言ったとか、はじめて笑ったという具合に、まるで赤ん坊の成長に一喜一憂する親のように、いつの間にかそのちょっとした変化にも心を躍らせているのだ。親バカならぬ視聴者バカに陥ってしまうのである。
(不思議な気分だった。)
IU(イ・ジアン役)の好演とOSTの素晴らしさ
IU(イ・ジアン役)の好演
この人は十代のころからアイドル歌手として成功を収め、俳優としてもいくつものドラマで主演を務めてきた国民的スターで、「国民の妹」とも呼ばれているらしい。画像を検索するととてもキュートな笑顔が並んでいて、その好感度の高さも理解できる。しかし、イ・ジアンは好感度とは対極にあるような役柄である。つねに不機嫌そうで、化粧っけがなく、服装は粗末。鋭い目つきで人を睨みつけ、冷酷無情に人を陥れる犯罪者なのだ。正直に言ってこんな役をよく引き受けたなと思う。ところが、IUはこの薄汚れたイメージのヒロインを徹底的にリアルに演じている。口数が少なく、表情もほとんど変えないという難しい演技なのに、ボソッと吐き出すセリフに凄みがあるし、心の中で起こっている変化をほんのわずかな目の動きで見事に表現しているのだ。感服してしまった。そして、彼女にこの役を託した製作陣の慧眼にも驚くばかりだ。
名曲揃いのOST
日本のドラマではBGMとして「歌」が流されることはほとんどないが、韓国ドラマには何曲ものボーカル曲が使われる。このドラマも例外ではなくて、人物や特徴的なシチュエーションにそれぞれ特定の歌を割り当て、テーマ曲のように繰り返し流される。それがまたどれも名曲揃いなのだ。ボーカル曲だけでなくインストルメンタルも素晴らしくて、映像と音楽が一体となって心に沁み入ってくる。これらの美しいBGM——韓国ではOSTと言うらしい——が果たした役割も大きいと思う。
心に残るシーン/言葉
すでに10,000字を超えているのだが、まだ全然言い足りない。と言うか、どれだけ書いてもちゃんと語った気になれない。たぶん抽象的な物言いばかりで、具体的なセリフやシーンにまったく言及していないからだと思う。
だから、キリをつける意味で、この投稿を書き始める前にボツにした「心に残るシーン/言葉」集を最後に貼り付けて終わりたい。と言っても、けっこうな分量になるけど。ここまで読み続けた人はたぶん自分以外にいないだろうが、はっきり言って、ここから先を読むほうがよほどドラマのことが分かると思う。もちろん(全然気にしてないんだけど)100%ネタバレである。
重複する記述もあるが、思ったより少なかったので、手直しせずに貼り付ける。それと、純粋に好きなシーンやセリフを切り取っただけなので、ドラマを観ていない人が読んでも、「なんのこっちゃ」という感じかもしれない。多少の状況説明は添えているけれど。でも、改めて自分で読み返してみたら、これだけでグッとくるものがあった。
<第5話>ジアンが祖母に月を見せるシーンと「いい子だな」
自力では歩けない祖母が月を見たがっていることを知り、ジアンはスーパーからカートを盗んできて、それに祖母を乗せ、近くの高台へ連れていく。大きな満月を並んで眺める二人。このドラマで一番美しいシーンだと思う。そして、このシーンでかかる「Dear Moon」という曲がまた絶品で、二人を包む穏やかで優しい空気をそのままメロディーにしたような美しい曲だ。
たまたまスーパーでジアンを見かけたドンフンが、急な坂の登り降りを手伝ってくれた。それでも、このときのジアンはまだ彼をどこかで疑っていた。
祖母が「いい人なんでしょ、優しそうな人ね」と尋ねると、
ジアンは「恵まれているから、いい人になれるのよ」と答える。
この時点でのこれが本心なのだろう。
ちなみに祖母は耳も不自由で、「あー」と発声して注意を引くことはできるが、言葉は話せない。だから二人の会話は手話である。ジアンのほうは言葉を話しながら手話を使う。
ドンフンはこのとき初めて彼女の祖母の存在を知った。だから、祖母を背負って部屋に送り届けた後の帰り際、見送りに出たジアンに思わず「いい子だな」と言う。成人女性への言葉としては失礼な言い方だが、心から出た言葉だろう。
そして、この言葉はのちのちまでジアンを励ます言葉になる。音声ファイルに残されたその言葉を、彼女はその後何度も何度も聞き返すのだ。
<第7話>はじめての笑顔
一片の笑みも見せなかったジアンがはじめて笑う。
この頃には自分がドンフンに恋していると彼女自身も分かっていたのだと思う。音声からドンフンが先輩の店で一人で飲んでいることに気づくと、ジアンは迷いもせずにその店に向かう。
黙々とビールを飲む二人。やがてジアンが、なぜ学歴も資格もない自分を派遣として採用したのかと尋ねる。趣味・特技の欄に「走ること」と書いてあったからだとドンフン。「内力が強そうだから」。それに対するジアンの言葉は少し意外なものだった。「走っていると、空っぽになれる。それが本当の自分みたい」——内面に触れるような話を彼女がするのは、おそらくこれが初めてだった。
ドンフンが差し出したジョッキにジアンも自分のジョッキを合わせる。
するとドンフンが「幸せになろう」と言う。
再びビールを飲む二人。お互いに相手が口を離すまで飲み続けようとするうちに、可笑しくて笑い出す。とても自然な笑顔だった。そして、それがジアンの見せた初めての笑顔だった。
<第8話>「ファイティン」
先輩の店で二人でビールを飲んだ後、ドンフンがジアンを送っていく。二人が肩の力を抜いて会話を楽しんだのはその夜が初めてだったかもしれない。坂の下で別れる二人。背中を向けて歩き去るドンフンにジアンが言葉をかける。
「ファイティン」(ファイト!)
「いい子だな」へのお返しのような言葉だと感じた。
ト・ジュニョンと妻ユニが不倫していることを知り、ドンフンは深い苦悩に陥っていたのだ。ジュニョンは大学の後輩だったが、今はドンフンの会社の社長である。だが昔から誰よりも軽蔑していた男だった。ドンフンはジュニョンに対し事実上の宣戦布告を行なったばかりだった。そのすべてを、ジアンは盗聴によって知っていたのだ。だからドンフンを励ましたかった。
<第9話>ジアンの号泣
登場人物の中でもっとも多くのことを知っているのはジアンである。彼女だけが盗聴という魔法の仕掛けを持っている。それを通じてドンフンの内面まである程度見通すことができる。しかし、ドンフンは自分の目で見たこと、耳で聞いたことしか知ることができない。だから彼にとってはジアンも、最初はちょっと変わった部下でしかなかった。
物語の発端となった事件の真相を知ったのも、ずいぶん時間がたってからだった。自分に送られてきた偽装賄賂をジアンが機転を効かせて捨ててくれたものと彼は思い込んでいた。お陰でワナにはまらず命拾いしたと。しかし、ジアンはその金(商品券)を盗んだのだった。それで借金を完済しようとした。ところが金融業者のグァンイルが盗難品であることに気づいて警察に届けようとしたため、取り戻して、処理に困って捨てたのである。ドンフンのことなどまったく考えていなかったのだ。
それを、ドンフンはグァンイルから教えられる。同時に、彼女が多額の借金を背負っていることも聞かされる。(グァンイルとジアンの間にもドラマがあるのだが、キリがないので触れない。)
命の恩人だと思っていたら大嘘つきだったわけだから、ふつうならここでジアンを見限るところだろう。しかしドンフンは真相を確かめようと、捨てられた商品券を発見したゴミ業者に確認に行く。そこでジアンの悲惨な生い立ちを聞かされるのである。
その足で(ジアンが商品券を盗んだことは水に流して)グァンイルの事務所に乗り込み、残りの借金を自分が肩代わりすると申し出る。そして殴り合いになる。(この辺りは話が美しすぎてアレなんだが…。)
殴り合いながらグァンイルは、自分がジアンを苦しめるのは彼女が自分の父親を殺したからだと言う。ゴミ業者のおじさんはそこまでは話さなかったのだ。一瞬ドンフンの手が止まる。だが、こう言ってまた殴りかかる。「俺でも殺す。家族を殴るヤツは殺してやる。」
音声を聞いて現場に駆けつけようとしていたジアンは、父親殺しの話が出たところで立ちすくんでしまう。それを聞いたらドンフンもこれ以上自分を助けようとはしないだろうと思ったのだ。ところが彼はまた闘い始めた。
ジアンはその場にしゃがみこんでしまう。そして声をあげて泣き始める。
話の流れとしてあまりにもデキすぎだし、頭に血が上って「殺す」と叫んでいるドンフンを止めに行けよと思わないでもなかったが、必死に押し殺そうとしてもどうしても抑えきれずにしゃくりあげるIUの演技が素晴らしくて、思わず見入ってしまった。
このようにジアンは、明るい水面が見えてきたかと思うとその度に邪魔が入り、ふたたび海底に引きずり下ろされる。だが、そういう時、いつもドンフンが予想を超える反応を示すのだった。そして彼女は救われる。後戻りせずに済むのだ。そんな二人の関係を象徴するような場面だと思う。
<第11話>「君の祖母の葬式に行く。母の葬式に来い。」
ドンフンが常務候補となり、社長派の候補と一つの席を争うことになった。厳しい審査があるため、彼とジアンとの仲が噂になっていることが一つのネックになっていた。それを察知したジアンは、ドンフンが彼女を解雇するように仕向ける。
しかし、ドンフンは「断る」ときっぱりと拒否して、こう言った。
「君の祖母の葬式に行く。俺の母の葬式に来い。」
そして、こう続ける。
「俺は君が契約を満了して出ていくのを見届ける。そして数十年後に偶然会えば挨拶をする。気まずくて避けたりせずに笑顔で話しかける。頼む、そうさせてくれ。」
これも感動的なやりとりだった。ジアンはその後何度もこの言葉を思い出す。そして、このドラマの最後の瞬間に描かれるのが1年後に訪れた再会の瞬間だ。
<第11話>「私と親しい人の中にもあんな人がいてくれて、うれしい」
ドンフンのお陰で、ジアンの祖母は福祉施設で安らかな日々を送っていた。病室で穏やかに会話する二人。
しかし、祖母がドンフンのことを尋ねると、ジアンの目に涙が浮かぶ。
ユニの不倫について、夫婦が初めて正面から向き合って話すのを聞いていたからだ。ドンフンが声をあげて泣いていた。「ヤツとの浮気は俺への死刑宣告だ。パク・ドンフンは浮気されても仕方ない、価値のない人間だから死んでしまえ。」——これほど取り乱し、悲嘆に暮れるドンフンははじめてだった。
祖母「どうして泣くの?あの人に何かあった?」
ジアン「元気だよ。ばあちゃんを気にかけてた。私に食事をおごってくれるし、会社でも助けてくれる。常務に昇進しそうなの。」
祖母「それなら、どうして泣くのよ」
ジアン「うれしくて。私と親しい人の中にもあんな人がいてくれて、うれしい」
このセリフにはしびれた。ドンフンが悲嘆に暮れていることを祖母に言うわけにもいかず、咄嗟に出てきた言葉なのだろうが、本心であることも分かる。
そして何よりこのときのIUの表情が心に残った。涙をたたえた目で祖母をしっかりと見つめ、「うれしい」と言いながら、鼻先に右手のこぶしをつける手話の仕草をする。「価値のない人間だから死んでしまえ」と自分を卑下したドンフンの言葉をそうやって否定しているのだ。とても複雑で気高い表情だった。「恵まれているから、いい人になれるのよ」と言ったジアンとは別人のようなジアンがいる。
<第12話>「すごく立派な人です。いい人ですよ、とっても。」
常務選定のための部下面接にジアンが指名される。社長派役員たちがドンフンを貶めようと企んだのだが、ジアンは見事なスピーチをして形勢を逆転させる。
その夜、ドンフンはジアンと食事をしながら、「俺はそんなに立派じゃない」と言う。
もちろん頭にあったのは妻ユニの不倫だった。自分は「浮気されても仕方ない、価値のない人間」だ——口にはできないがそういう思いがあった。
一瞬の間も置かずにジアンが言う。
「すごく立派な人です。いい人ですよ、とても」
ジアンの頭にも「価値のない人間」という言葉があったはずだ。それを一蹴したかったのだと思う。
<第13話>「何てことない」
ユニの浮気の件がサンフンとギフンに知られてしまう。相手を「殺す」とギフンが言い出し、激しい怒鳴り合いになる。
ドンフンが言う。
「父さんがよく言ってた、『何てことない』と。それを誰も言ってくれない。だから自分に『何てことない』と言い聞かせている。」
かつてドンフンがジアンに言ってくれた言葉だった。「過去のことは何てことない」、自分の考え方次第だと。
警察の追手が迫ったことを知り、ジアンは逃亡生活に入らざるを得なくなる。最後になるかもしれないメールを打つ。
「面接を頑張って。何てことないですよ」
ドンフンは二人の兄弟とタクシーで帰る途中だった。「ありがとう」とつぶやくが返信はしない。返信しなければ伝わらないぞとギフンが言っても返信しない。
タクシーを降りて夜明けの町を歩く三人。
「死ぬほどつらい時に『死ぬな』『お前はいい人間だ』『ファイト』と応援してくれる人がいて救われた。でも、そんなことを言えば誤解される。…ありがとう、そばにいてくれて。」
ジアンが泣きながら聞いている。
<第15話>「おじさんの音が全部すきでした」
逃亡していたジアンをドンフンが見つける。怪我をしていた彼女を病院に連れていく。彼女が盗聴していたことをドンフンはすでに知っていた。
彼女が言う。
「おじさんの音が全部好きでした。おじさんの言葉、考え方、足音も全部。人間というものを初めて知りました。」
<第16話>「買い物は?」
警察での取り調べのあとの車中でジアンがユニに言う。
「おじさんの言葉の中で一番温かかったのは『買い物は?』。 帰宅する時おばさんに言ってた言葉」
<第16話>「また会おうね」
亡くなった祖母と霊安室で対面するシーンも心に残るものだった。泣きじゃくった後、いつものように手話と言葉でお別れを言う。
「私はばあちゃんがいて幸せだった。私と出会ってくれてありがとう。ばあちゃんの孫になれて感謝してる。ありがとう。また会おうね。約束だよ。必ず会おうね。」
<第16話>納骨堂
サンフンの尽力で人と花輪で埋まったにぎやかな葬儀も印象に残るものだったが、納骨堂で祖母の遺骨と最後の別れをするジアンの姿も感動的だった。
祖母はよくジアンを引き寄せて額と額をくっつけた。そうやって祈っているようにも見えたし、「大丈夫だよ、大丈夫だよ」とジアンに言い聞かせているようにも見えた。慈愛に満ちた温かい所作だった。
ジアンが骨壷に額をあて、同じように祈りを捧げる。そして骨壷を収めて扉をしめると、またその扉に額をあて、長い間じっとしている。二人が額を合わせている光景が思い出されて胸が詰まる。
<第16話>「ファイティン」
ジアンは釜山で新しい生活をはじめることになった。最後の夜、ぎこちなくハグをして別れる二人。そして、歩き去るドンフンに向かってジアンは「ファイティン」と声をかける。するとドンフンも「ファイティン」と返す。
このときのIUの表情もとてもいいのだが、それはキレイとかカワイイといった基準で語れる類のものではない。日本のアイドルだったらこんなメイクはさせないのではなかろうか。
僕はこのドラマで初めてIUを知ったのだが、歌手としても俳優としても活動歴が長く、韓国では「国民の妹」と呼ばれほどのスターらしい。ということは彼女の顔は広く知られ、一定のイメージが確立しているということだろう。過去の画像を検索してみたら、魅力的な目をしたキュートな顔が並んでいる。それがIUの顔だ。
しかし、このドラマでは役柄も過激だが、メイクもずいぶん冒険をしている。基本的にはすっぴんに見えるメイクで、さらに言えば彼女の魅力をわざと削いでいるようにさえ見える。冒頭から可愛さは完全に捨て去られ、柔らかい輪郭が消え、チャームポイントの目は獲物を狙う野生動物のように獰猛だ。
徐々に柔らかい表情が浮かぶようになっていくが、それでも目に隈ができていたり、目の周りが赤かったりとずいぶんひどいメイクで登場する。この「ファイティン」のときの顔もそうだろう。目の下に大きな隈があって、けっして美しくはない。国民的スターがこういう顔をテレビで見せるのかと驚かされる。でもそれは、この瞬間のジアンそのものの、忘れがたい表情だった。
<第16話>再会
ラストは予想どおりだ。ジアンとドンフンが街角のカフェで偶然出会う。すっかり垢抜けて美しくなったジアンと、陰りのない穏やかな表情のドンフン。二人は笑顔で再会を喜び合い、立ち話をして別れる。これほど予想どおりのラストシーンを見せられてがっかりしないのも珍しい。でも、このドラマを見続けたすべての人が願ったものだったろう。