加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』
戦争は国家と国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の、憲法に対する攻撃、というかたちをとる
とジャン・ジャック・ルソーが「戦争および戦争状態論」という論文の中で言っている、と長谷部恭男が『憲法とは何か』で言っている、と加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(2009年朝日出版社)に書いてあった。
要するに
相手国が最も大切だと思っている社会の基本秩序(これを広い意味で憲法と呼んでいるのです)、これに変容を迫るものこそが戦争だ、といったのです。
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』は本当に面白い本で、太平洋戦争が始まるまでのいくつもの「なぜ」に対し、史料をもとに一つひとつ丁寧に、わかりやすく、そして論理的に答えていくことで、時間の彼方にぼんやりと見えていたあの戦争をリアルなものとして目の前に引き寄せてくれる
でも、そうやって明かされていく数々の歴史の真相より、僕は、冒頭で紹介されたこのルソーの言葉のほうが強く印象に残った。
戦争は憲法に対する攻撃。
1945年の終戦後、アメリカと連合国が日本に求めたのも「社会の基本秩序」を変えることだったし、それは当然、それまでとは異なる価値観で憲法を書き換えることを意味した。ルソーが考えたとおりの戦争のゴールだったことになる。
満州事変
その意味では、満州事変もまさに戦争だったということになる。日本は新たな独立国の建設に手を貸しただけと言い張ったが、独立国とは名ばかりの傀儡政権であることは誰の目にも明らかで、中国から国の一部を奪い取ったとしか言いようがない。あの地域の憲法を日本に都合の良いように変えてしまったのだ。
日中戦争
では、日中戦争はどうか。日本も中国側も戦争だと認めようとしなかったが、それは方便のようなもので、戦争と認めてしまうと他国から物資が入らなくなるからだと聞いている。でも、ルソーの定義を当てはめると、そもそも戦争と呼べるものではなかったのかもしれない。
僕が無知なだけかもしれないが、日本が中国全土を支配下に置くことを目ざして戦っていたとは思えない。華北分離工作というのもあったらしいが、それを別にすれば、満州国や南満州鉄道など、日本が既得権益だと思っているものに対し、中国側がとやかく言うのを止めさせたかっただけ…その程度の覚悟しかなかったように見える。
自分の価値観を押しつけようとしていたのは確かだが、どちらかと言えば満州事変のつづきというか、後始末というか。つまりルソーが考えたような重さがまったく感じられない。
太平洋戦争
そう考えると、1941年の米英への宣戦布告も同じように軽々しいものに感じられる。
中国で日本がしていることを認めないあんたたちを懲らしめてやる。
そう言っているだけではないのか?
アジアは日本の縄張りだから口出しするな、と。
少なくとも、アメリカやイギリスの憲法を変えてやるといった覚悟は感じられない。両国の本土を戦場とする気など1ミリもなかっただろうし。日本はただ、相手に「やーめた」と言わせれば勝ち…それくらいの認識しかなかったのではないか。
ルソーが生きていたら、戦争とは呼ばなかったに違いない。あまりに志が低すぎる。
だがその結果、中国での悪さを全面的に否定されただけでなく、「最も大切だと思っている社会の基本秩序」を変えざるを得なくなった。
連合国はごく普通に戦争を戦ったのだ。
まあ、当然だろう。ルソーの言葉を待つまでもない。
日本をそれまでの日本のままにしていたら、また同じようなことをくり返すかもしれないのだから。