『田鎖ブラザーズ』がぜんぜん楽しめなかった件

TBS金曜ドラマ『田鎖ブラザーズ』の最終回が6月19日に放送され、31年前の田鎖夫妻殺害の犯人についても、またエンディングの曖昧さについても、多くの人がSNSなどで発言したようだ。

『田鎖ブラザーズ』(TBS系「金曜ドラマ」)

 脚本:渡辺啓

 演出:山本剛義、坂上卓哉、川口結

 プロデュース:新井順子

 出演者:岡田将生、染谷将太、中条あやみ、
     宮近海斗、和田正人、飯尾和樹(ずん)   
     他

 放送 2026年4月17日〜6月19日

僕はYouTubeの考察チャンネルをいくつか見ただけだが、それぞれ受け止め方、解釈の仕方に違いはあるものの、基本的に良質なドラマだったということが前提になっていて、自分の感覚と違っていた。最後まで脱落せずに見届けはしたが、雑な部分が目について、あまり入り込むことができなかったからだ。

大方の人は岡田将生と染谷将太が演じた田鎖兄弟(真と稔)の悲劇性とこの二人のキャラクターに魅入られていたようだ。それと二人の成長を支えた茂木幸輝(=もっちゃん、山中崇)や足利晴子(井川遥)との関係に救いを感じていたように見える。だからこそ31年前の事件の真相が明らかになった時、いろいろな感情が入り混じって大きな衝撃となったんだろう。

まぁ、そこは分かる。4人の演技も良くて、それぞれが魅力的で、その一方で何かしらの不可解さを感じさせる人物として存在感があった。

しかしこのドラマは、最初から意味不明な部分と「そうはならんやろ」という矛盾した設定や展開が多すぎた。物語に入り込む前にそっちのほうが気になって、気持ちが冷めてしまう。

また、ときに力づくで情緒の領域に引き込んで煙に巻くような演出も鼻についたし、毎回ラストでかかる森山直太朗のブルージーな「愛々」——いい曲だと思うけど——に丸っと呑み込まれ、何もかもが有耶無耶にされる感覚もあって、そこもちょっと気になった。

だから、そこそこ面白いとは思ったけれど、良質なドラマとか、良く出来たドラマとは思えなかったのだ。そんな細かいところはスルーするのがドラマを楽しむ秘訣なのかもしれないけれど。

そんなわけで、どんなところが気になって物語に入り込めなかったのか書き出してみようと思う。ずいぶん不毛な作業だとは思うけが。

大事件と小事件

31年前の1995年4月26日の夜、田鎖家に何者かが侵入し、床に就いていた両親を刺殺し、次男の稔の腕に傷を負わせる事件が発生した。未解決のままだったこの事件が全編を通じて解明されていく。物語の軸となるこの事件を大事件と呼んでおく。

大事件とは別に、今は刑事となっている長男の真が担当する事件も並行して描かれた。2話に1件ぐらいのペースで5件(だったと思う)。これらは小事件と呼ぶことにする。

【1】大事件のヘンなところ

(1)時系列が矛盾している

第1話で、大事件の表面的な概要は描かれた。その部分を映像の時系列に沿って箇条書きにしてみる。

  • 2階の子ども部屋で寝ていた真が消防車のサイレンで目を覚ます。
  • ベランダに出て出火元を探そうとする。
  • すぐ下の玄関から全身黒ずくめの男が走り出て、すぐそこの角で少女と鉢合わせする。
  • 男が包丁を振り上げ、少女を切り付ける。少女は「きゃっ」と悲鳴をあげて倒れ込んだ。
  • 男は少女を置いて走って逃げる。
  • 「痛いよ〜、痛いよ〜」という稔の声がする。
  • 真が振り返ると、稔は子ども部屋の入口に立って泣いている。廊下に血が滴り落ちる。
  • 真はあわてて1階に駆け降り、両親に知らせようとする。
  • だが、両親は布団の上で血を流し、息絶えていた。

角で切りつけられた少女が晴子だったことは1話のうちに分かった。黒ずくめの男がもっちゃんだったことは終盤になるまで分からない。

【ヘンなところ】

この事件当夜の映像はその後何回も見せられるのだが、単純な話、時系列が矛盾している。

一番ヘンなのは、外で晴子が切りつけられ、「きゃっ」と悲鳴をあげた後に稔が泣き出すことだ。この順番どおりなら、両親と晴子を襲った犯人と稔を襲った犯人は別人ということになる。しかも、第二の犯人は兄弟と同じ2階にまだいるかもしれない。

そうではないことをようやく納得できたのは第9話のことだった。稔は1階で両親と川の字になって寝ていて、両親とともに襲われたのだ。犯人は(おそらく)両親に包丁を突き立てたあと稔に刃を向けた。しかし殺し損ねた。

であれば、稔は腕を切られた後すぐに泣き出したに違いない。犯人はそれに動揺して逃げ出したと考えるのが自然だろう。そうでなければ犯人は稔にとどめをさし、次に真を探して殺したはずだ。彼の目的は一家皆殺しだったのだから。

稔は泣きながら両親を起こそうとしたが、いくら揺すっても二人が目覚めないので、やむなく2階の兄に助けを求めたのだ。映像ではその部分がすっぽり抜けている。晴子の悲鳴の何十秒も前から稔は泣き叫び、どう考えても真の耳にも届いていなければおかしいのに、その音も無かったことにされている。他の映像にかぶせて音だけ聞かせることもできたはずだが、それもなし。晴子の悲鳴のあと、稔が子ども部屋に辿り着いたところから突然、稔のパートが始まるのだ。

作り手としては効率良く主要人物を登場させたかっただけなのかもしれないし、子どもを切り付けるという残酷なシーンを避けたかったのかもしれない。しかし、やりようはいくらでもあるだろうし、そもそも稔が1階にいたことを伏せなければならない理由もない。なのに、このシークエンスを見てしまったお陰で、稔を傷つけたのは別の人間だという疑念をずっと引きずることになってしまった。

(2)取引のバランスが取れていない

寝ている両親の胸や肩を刺し、稔と晴子を切りつけたのは茂木(もっちゃん)だったことが終盤に分かる。

もっちゃんの犯行動機は次のように説明された。

田鎖兄弟の父・朔太郎の勤め先である辛島金属工場の工場長・辛島貞夫が密造銃の製造に手を染めていた。大怪我を負った妻・ふみの治療費を作るためだった。依頼主は暴力団の五十嵐組。朔太郎にも秘密にしていたが、ある日、出来上がった銃の納品を朔太郎に頼まざるを得なくなる。

納品場所は港だった。そこで漁船の船長に手渡し、船長が沖合で待つ五十嵐組に届ける。おそらくそこで第三者に販売するのだろう。(詳しくは語られなかったが。)

だが、朔太郎は引渡しの直前にそれが密造銃であることに気づき、工場へ引き返して貞夫に自首を勧めた。その日の取引は当然ながら中止になった。

怒った五十嵐組は、なぜか中継役の船長を殺した。(なぜ?)

自分も殺られると思った貞夫は、五十嵐組と裏でつながっている刑事の笹岡に相談した。自分を殺そうとしている相手とズブズブの刑事に相談するというのもリスクの大きな決断だが、密造銃の製造を斡旋したのも笹岡だったとしたら、ありうる話だ。

笹岡と五十嵐組は、商業地区の土地の買い占めにも関わっていて、もっちゃんが営む中華料理屋も対象地域に位置していた。そこで笹岡は、もっちゃんの店の立ち退きを免除する代わりに、もっちゃんに田鎖一家を始末させるという取引を五十嵐組に呑ませたのだ。

こんな取引が成立するとはとても思えないので、詳しく説明する。

【ヘンなところ】

なぜ一家皆殺し?

まず、五十嵐組が田鎖一家全員を殺す理由が分からない。憎いのは——そして警察にタレ込む恐れがあるのは——朔太郎だけだ。ならば船長と同じように——船長を殺した理由もさっぱり分からないが——本人だけを事故に見せかけて殺せばいい。子どもまで含めて4人も殺すとなると、犯行の難易度は数段上がるから失敗の確率も上がる。成功したとしても世間が大騒ぎするから発覚しやすくなる。そもそも妻や子どもを殺す理由なんて、それを本人に見せて苦しめること以外に考えられないが、同時に殺すなら本人は苦しむ暇もない。無意味だ。

なぜわざわざ素人に殺させる?

そもそも暴力団が殺人を堅気の人間に肩代わりさせる意味が分からない。それも、4人を皆殺しにするという高難度の犯罪を素人が完遂できると暴力のプロが考えるものだろうか。

たしかに手を汚さずに恨みを果たせるというメリットはあるだろう。成功しても失敗しても五十嵐組には塁が及ばないかもしれない。しかし、もっちゃんは何もかも聞かされているのだ。生きて逮捕されたら簡単に自白してしまうだろう。普通に考えても、犯行はまず失敗に終わるし、たとえ成功しても、もっちゃんが捕まって自白すれば自分たちも刑務所送りだ。そんなことを刑事の笹岡が五十嵐組に提案し、暴力のプロが受け入れるとはとても思えない。

実際、もっちゃんは失敗——少なくとも子ども二人は——するわけだし。

よりによって、もっちゃんかよ

その上と言ってはなんだが、よりによってもっちゃんにこれを託すなんてありえないだろう。

もっちゃんは単純な足し算引き算も怪しい、かなり鈍重な男だ。しかも気が弱く、いつも穏やかで人に優しい。これでは世間の荒波の中で生きていくのは無理だと考えて、彼の母親は店の立ち退きに応じなかったのだ。そんな男に人殺しができると考えるほうがどうかしている。しかも4人も…。

同じように立ち退きを拒否していた畳屋の主人が五十嵐組によって殺されていたから、もっちゃんにすれば断るという選択肢はなかったのかもしれない。でも、問題はそこじゃない。確実に一家を仕留めたいなら、自分たちは密造銃まで持っているのだから、組の若い衆にやらせるほうが成功する確率は圧倒的に高い。普通はそっちを選ぶだろう。

バーターになってる?

「田鎖一家を皆殺しにすること」と「立ち退きを免除すること」を天秤にかけることまでは理解できる。でも、もっちゃんはないだろう。

五十嵐組にとっては、失敗したときは懐は痛まないわけだが、その代わり、もっちゃんの口から計画がバレるリスクがある。それがバレるということは密造銃のこともバレるということだ。それにすぐに田鎖一家を殺す別の方法を考え、実行しなければならない。仮に成功しても——死刑に相当するような自分の犯罪をペラペラしゃべる人間はいないにしても——情報が漏れるリスクがゼロになるわけではない。これってバーターとして成立しますか?

しかも、朔太郎に運搬を任せた辛島貞夫がすべての元凶なのに、なぜかこの男はなんの責めも受けないばかりか、笹岡とともにこの取引を取り持つことで自分だけが安全地帯へ抜け出してノホホンとしている。「なんじゃ、それ」。

普通に考えたら、五十嵐組にとってもっとも合理的な対応は、貞夫に田鎖一家を殺させ、もっちゃんの店は予定通り取り上げてビルでも建てることだろう。なんで貞夫だけがノー・リスクでトクするような取引に応じたんだろう。まったく理解できない。

暴力団に首根っこをつかまれた笹岡が本当にこんなダメダメな取引を提案するだろうか。したとしたら救いがたい無能だし、五十嵐組がそれを承諾したのなら、こちらも相当なおバカだと言わざるをえない。

このように一つひっかかると次々に綻びが広がっていくのだ。

ともあれ、もっちゃんはこのバーター取引を受け入れ、深夜の田鎖家に押し入った。

だが、田鎖夫妻はもっちゃんが侵入する前にすでに死亡していて、彼はそれに気付かぬまま夫妻の死体に包丁を突き立てたのだった。警察が致命傷と取り違えるだけの傷を負わせることはできたが、もし夫妻が生きていてもそれができたかどうかは定かでない。そして、生きていた稔には腕に切り傷を与えることしかできず、真にいたっては見つけ出すことさえできなかった。(子ども二人の殺害に失敗したのに店の存続が許されたのも納得できないんだが。)

第8話で、笹岡が間に立ってこういう取引が成立したことが説明され、大事件の実行犯がもっちゃんであることがほぼ確定した——最終回でどんでん返しがあるが——が、それこそ「なんじゃ、それ」だった。

【2】田鎖兄弟が警察官として無能すぎ

(1)警察に入ってから何しとったん?

2010年4月26日に田鎖夫婦殺害事件は公訴時効を迎えた。事件当時、真は7歳、稔は5歳だったから、このときそれぞれ22歳、20歳である。事件現場であり、その後は空き家となっている実家に入り込み、二人が怒りに震えるシーンがその後の回でも何度となく映し出された。

それからさらに16年が経過している。真も稔も警察官となり、いま真は所轄の刑事、稔は捜査一課の検視官だ。もちろん犯人探しを諦めていなかったからである。時効を過ぎたこの事件を警察が組織として再捜査することはない。しかし、だからこそその内部に入り込み、警察のあらゆるソースを利用して私的な捜査を続けようと考えたのだろう。ただし、真犯人が見つかっても法で裁くことはできないから、二人は言葉にこそ出さなかったが、そのときが来たら警察を辞め、自ら手を下す覚悟だったに違いない。犯罪者となってでも復讐を遂げると心に秘めて生きてきたのである。

【ヘンなところ】

これだけ犯人探しと復讐に人生を全振りしていたにもかかわらず、現在にいたるまで事件について何の手がかりも得ていないってどういうことだろう。

これも序盤で引っかかったことの一つだ。今まで何しとったん?

彼らは31年間、津田が犯人だと思い込み、津田を探し続けていたらしい。だが、そのこと自体が、たいした捜査をしてこなかったことの証しだ。

津田は事件当日の夕方(?)、玄関口で朔太郎と軽く言い争いをしていただけだ。朔太郎が取り合おうとしないので、「また夜伺います」と言い残して帰っていった。それを真が見ていた。母親の由香によると、津田は朔太郎の取材をしているのだという。しかし、夜になっても姿を現さなかった。それだけだ。

事件の直後に姿をくらました津田は、たしかに怪しい。しかし、疑わしい要素はそれだけだ。それだけで兄弟は31年間疑い続けている。

事件のあと、なかなか犯人が捕まらないことに業を煮やした真が担当刑事——これが笹岡と現在の真の上司・小池だった——に津田はまだ見つからないのかと詰め寄ると、「違ったんだよ」という答えが返ってきた。おそらくアリバイがあったのだろう。

真(と稔)はそのやりとりを忘れてしまったようだ。でも、それも不自然だ。火葬場の扉の向こうで焼かれ始めた両親に向かって「ぜったい犯人を見つけてやる」と叫んだあの真が、こんなに重要な事柄を忘れるだろうか。

仮に忘れてしまったとして、警察に入ってから10年以上経つというのに、当時の捜査資料を読み返したこともないのだろうか。

ただ、津田のアリバイを証明した写真に大物政治家が写りこんでいたため、二課からの依頼で証拠から外されたという話を小池がしている。だから、調書を調べても津田のアリバイを示すものがなかった可能性はある。でも、それならそれでなぜ津田が容疑者リストから外されたのか疑問に思い、最低でも当時の捜査関係者に話を聞くぐらいのことはするだろう。なのに真は、毎日顔を合わせる小池が担当刑事だったことさえ知らずにいるのだ。ポンコツすぎて話にならない。

真より不可解なのは稔である。真より頭が良くて思慮深く冷静。豊富な医学的知識を持つ優秀な検視官で、証拠を多角的に分析し、刑事たちが気づかなかった事件の真相をいくつも暴いてきた。県警内での評価も高い。階級もすでに真より上だった。

稔のモットーは憶測に振り回されないことだった。彼自身が何度も口にしている。両親の事件で学び取ったことなのだろう。

なのに、彼もまた今だに津田が犯人だと信じ続けているのだ。新たな証拠も情報も見つけられていないのに。…それを憶測と言うんだぞ。単純で直情型の真よりいっそう「なんじゃ、それ」と思った。

このように、二人とも勢い込んで警察に入り、10年以上籍を置いているというのに、7歳と5歳だったあの時から1ミリも前進していないのだ。はぁ?と思うんだが、そう思うのは僕だけなのだろうか。

(2)なぜ真はグータラでポンコツな刑事になった?

もう一つ違和感を感じるのは、幼いうちにああいう不幸を経験し、目的を持って警察官になった男が、真のようなグータラ刑事になるだろうかということだった。

ドラマで描かれる彼は、「面倒くせぇー」が口癖の怠け者で、深く考えもせずに事件を事故で、殺人を病死で済ませようとするような、やる気も能力もないポンコツ刑事だ。「復讐」「時効」という言葉には敏感に反応するものの、それ以外の日常の業務ではとにかく仕事をしたがらない。「辞めたら」と言いたくなるレベルだった。

業務をサボって両親の事件の捜査をしているのかと思いきや、そんな気配もない。実際、警察に入ってから新たに分かったことというのは何一つ描かれていないから、何もしてこなかったと言って差し支えないだろう。ただ無能で怠け者なだけなのだ。

焼却炉に向かって「ぜったい犯人を見つけてやる」と叫んだ少年と今の真とが僕にはどうしても結びつかない。なぜこういうキャラクター設定にしたのだろう。

刑事ドラマの主人公が変わり者だったり、はみ出し者だったりするのはよくあることだ。ものぐさだったり、ちょいワルだったりするのも珍しくはない。だが、どんな変人であっても異端児であっても、突出した捜査能力を持っていなければ話にならない。誰もが病死だと判断した死体から殺人の兆候を見つけたり、事故に見えるものの奥に殺意の存在を嗅ぎつけたり…そう、真とは真逆の鋭利な洞察力を持つことが必須条件なのだ。このドラマでは稔がその役割を果たしてくれてはいるが、だからと言って真がダメ刑事であることの理由にはならない。

真もいつかそういう姿を見せてくれるものと思って見ていたのだが…。

たしかに小事件のほうでは復讐とか時効という言葉に触発されて俄然エンジンがかかったり、当事者に対して彼なりの思いやりを示すこともあった。一種独特な感性を発揮し、複雑な事件のからくりを見抜いたりもした。そうやって徐々に刑事らしくなっていったのも事実だ。それはそうなんだが、第1話の時点でのあのポンコツさの違和感が強すぎた。ああでなければならない理由って、何かあったんだろうか。見当がつかない。

ついでに書いておくと、元新聞記者の晴子の取材力はほぼファンタジーと言って良いほど卓越していた。真が雑に丸投げしてくる調査を素早く完璧にこなす。「なんで警察のソースを使って自分で調べない?」と首を傾げたくなるようなことばかりだったが、自動販売機か何かのように必ず的確な答えが返ってくる。真の捜査上の手柄はほとんど晴子の力と言ってもいいくらいだった。

(3)津田の取材力が神レベル(褒めてない)

晴子の調査能力は、いわばこのドラマの時短ツールだった。疑問があっという間に解決する。

しかし、そんな晴子でも津田の取材力にはかなわない。

31年前に密造銃の周辺を取材していた津田は詳細な取材ノートを残していた。ドラマ終盤で田鎖一家殺傷事件の全容が一気に明らかになるのは、このノートが見つかったからだ。

取材ノートには、事件が起こるまでのことがほぼすべて書いてあった。
辛島貞夫による密造銃製造のこと、朔太郎が取引をストップさせたこと、そしてもっちゃんが犯行を引き受けた理由——五十嵐組とのバーター取引のこと——まで。

いやいやいや、そんなことを誰がしゃべんねん。神業か?

あの風采の上がらない津田(飯尾和樹)は実は神だったのか?
笹岡と五十嵐組幹部ともっちゃんの体内に盗聴器を埋め込み、24時間体制で聴いてでもいないと知り得ないようなことが書き込まれていた。…あまりに安直すぎる。これも相当な「なんじゃ、それ」だった。田鎖兄弟が一歩ずつ真相に近づいていくというストーリーにはできなかったんだろうか。

【3】無駄に入り組んだ構造の小事件

(1)なんのための複雑さ?

二話に一件のペースで描かれた小事件は、どれも異様に複雑な構造を持っていた。警察の見立てが次々に覆っていく。死体発見時は「事件性なし」と思われたものが、死因や人間関係を調べるうちに見立てが次々に変わっていき、最終的には巧妙に仕組まれた復讐殺人だったことが分かるといった具合に。

中には秦野小夜子が背後で糸を引いていたものもあるのだが、それについては後で触れる。

意表を突く殺しの手口と殺意の構造が背後に隠れているから、解明されていく過程を見るのはそれなりに面白い。しかし、とくにミステリー好きというわけではないからかもしれないが、正直言って「なんでこんなにややっこしくするんだろう」という疑問のほうが先に立った。

それにこのドラマは、マニアックなトリックを散りばめつつも、描写の力点は別のところに置いている。真が稔と、あるいは彼らがもっちゃんや晴子と、そしてときに小事件の当事者たちと接する場面。極論すると、作り手はそこにしか興味がないようにさえ思えてくる。

だから余計に、事件の構造を「なんでこんなにややっこしくするんだろう」と思ってしまう。

(2)復讐だったはずが、お門違いの殺人だった

一件目の小事件は、病死→轢き逃げ(数日かけて脳挫傷が悪化して死に至った)→“息子を自殺に追い込んだ元教師への父親による復讐殺人”へと事件の見え方が二転三転していった。そして最後にさらなるどんでん返し…と言うより、豪快なちゃぶ台返しが待っていた。

全貌が明らかになったあとになって、自殺だと思われていた息子の死が、実は事故死だった可能性が高いと分かったのだ。父親は見事に復讐を遂げた。しかし、その復讐の出発点となった息子の死が、彼が殺したコーチとはまったく無関係だったということだ。

「なんじゃ、それ」

『田鎖ブラザーズ』が復讐をめぐる物語であることは、放映開始前から喧伝されていた。そして、両親を殺した犯人への復讐心に燃える兄弟の姿を冒頭から見せられてきた。ところが並行して描かれる小事件の一件目が、“復讐のつもりで人を殺したら、まったくのお門違いでした”という元も子もない話だったのである。

しかも、復讐の構成要件が消失し、無意味な殺人だったことが明らかになったにもかかわらず、この小事件そのものはかなりエモーショナルで胸アツなシーンで幕を下ろす。「人がひとり勘違いで殺されたんだけど、そんな締め方でいいの?」と叫び出したくなるような美しくメロウなエンディング。そこに森山直太朗の「愛々」。

いやいやいや。

その情緒的な演出に呑み込まれながらも、強烈な違和感が残った。殺された元コーチと殺した父親はいったいなんだったんだろう。それに、良い悪いは別にして、一つの復讐劇として終わらせるほうが全体との調和が取れるだろうに、なぜわざわざハシゴを外すような真似をするんだろう。

しかし、復讐のハシゴ外しは三件目の小事件でも行われた。

息子が志望校の入試で不合格になったのは採点ミスのせいだと思い込んだ母親が、ミスを隠蔽した張本人と噂される大学理事長を殺害する。真たち捜査陣は真相に辿り着いたものの、証拠が得られず母親を逮捕できないまま捜査は打ち切りとなった。その後、真はその息子の答案を改めて専門家に採点してもらう。結果は不合格だった。採点ミスがあり、それを学校側が隠蔽したのは事実だったが、息子は採点ミスがなくても不合格だったというオチだ。

つまり、この件も手の込んだ復讐劇として描かれたのに、最後になって犯行動機である復讐の構成要件が消えてなくなったのだ。お門違い殺人。

「なんじゃ、それ」

このハシゴ外しの意図が今になっても分からない。

(3)秦野小夜子というモンスターがもたらしたもの

2件目を除くと、他の小事件はどれも復讐殺人だった。被害者家族が加害者に敵討ちをする。そして、(1件目には出てこなかったが)3件目、4件目、5件目には秦野小夜子という市の相談支援課職員が絡んでいた。

犯罪被害者家族の悩みや困り事を傾聴するという形で接近し、催眠術をかけるように復讐へと駆り立てていくのである。小事件の手口がいずれも複雑、巧妙で発覚しづらかったのも、彼女が見つかりにくい方法を伝授していたからだった。

人当たりが良くて多くの人に信頼されている公務員カウンセラーが、実は歪な価値観を持つサイコパスだったというのは、ホラーとしてなかなか威力があった。語りが巧みで、いかにも正論のように聞こえるところがまた怖い。

火のないところに復讐殺人

さらに恐ろしいのは、彼女の場合、自らの意思で復讐を望む人をサポートするのではなく、そんなことを考えたこともない人に復讐心を植え付けてしまうことだ。ドラマの中で明言されたわけではないが、おそらくそうだろうと思う。被害者遺族に近づき、「なぜ遺された者だけが苦しまなければならないのでしょう」とやさしく語りかけ、眠っていた怒りに火をつける。

3、4、5件目の小事件で殺人を犯した人たちは、そうやって秦野小夜子にマインドコントロールされて犯行に及んだ。本当の主犯は秦野で、実行犯はむしろ被害者だったと言うべきだろう。が、秦野はログの残らない通信アプリを使うなど入念に防御線を張っているから、捜査の手は及ばない。唯一彼女がイレギュラーな手順を踏んだ5件目でその関与が立証されただけだった。その他の事件で刑に服したのは実行犯(=犯罪被害者遺族→被害者)だけだ。

田鎖一家殺傷事件にも関与していた

その秦野小夜子が31年前の田鎖一家殺傷事件にも関与していたことが最終回で示唆された。操られたのは晴子だ。

あの日、もっちゃんが包丁を持って田鎖家に押し入る前に、晴子が忍び込んで毒(ジギタリス)を盛っていた。もっちゃんが夫妻を刺したときには、二人はすでに亡くなっていたか、少なくとも瀕死の状態だったのだ。ジギタリスは毒物検査の対象になっていなかったため、発覚しなかった(ということらしい)。ジギタリスという毒性植物をそれとなく晴子に教えたのが秦野だった。

ジギタリスですでに死亡していたか、まだ息があったのかは生活反応で識別できるはずだが、鑑定結果は「どちらとも言えない」というものだった。刺し傷から出血していたことを考えるとまだ心臓が動いていた可能性はあるが、二人は動きもしなければ声も上げなかったともっちゃんが言っているから、少なくとも意識不明であったことは確かだろう。

だからと言ってもっちゃんの罪が帳消しになるとは思えないんだが。

とにかく田鎖一家殺傷事件における晴子の行動にも秦野小夜子が関与していた。ということは、少なくとも31年間同じような殺人教唆を続けてきたと考えるのが自然だろう。恐ろしい話だが。しかし、何件の復讐殺人に関わっていたとしても、今となっては秦野が断罪されることはおそらくない。(証拠は残されていないだろうし。)

秦野が絡むと復讐でなくなる

うまく言える自信がないのだけれど、秦野小夜子が関わった小事件は、真相を知ってしまうと復讐という実体が曖昧になり、古い怪談か何かのように感じられてくる。

一般的に復讐は、主体と客体と動機が限定される。たとえば、AがBさんの子どもを殺したとして、その報復(動機)として親であるBさん(主体)が子ども殺しの犯人A(客体)を殺せば、これはまぎれもなく復讐である。しかし、三要素の一つでも別のものに置き換われば復讐とは呼べない。赤の他人の僕がAを殺してもそれは復讐ではない。ただの殺しだ。

秦野に操られた殺人事件は、表向きは復讐の条件が揃っているのだが、結局のところ主体であるはずの実行犯は秦野のコントロール下にあったわけで、主体性を失っていた。実質的な主体は秦野だったのだ。ということは、僕がAを殺すのと同じように、もはや復讐という概念からはみ出している。

つまるところ秦野が関わる事件は復讐じゃないのだ。

一見、実行犯(=犯罪被害者遺族)が自分の望みどおり復讐を果たしたように見えるが、実は秦野が誰かを操って人殺しをさせたかっただけで、実現しやすかったのが復讐の条件が揃うケースだったということなのだろう。

(4)なぜ復讐を無効化する?

このドラマはどう考えても復讐をめぐる物語なのだが、そのわりに、あちこちに復讐を無効化するような仕掛けを見せてくる。

秦野小夜子の投入——ホラー的効果は抜群だが——もそうだし、二つの小事件で見せたハシゴ外し——最後の最後に動機も客体も一気に無意味化して“お門違い殺人”にしてしまう——もそう。

なぜ?

これで何がしたかったのか、頭の固い年寄りにはいまだに分からない。

【4】もっちゃんか晴子か

(1)そこまでして意外な人物を犯人にしたいのか

津田が取材ノートに書き込んでいたのは、密造銃の製造・販売に関する情報だった。彼は晴子には辿り着いていないし、さすがに事件当夜の現場の模様も書かれていない。笹岡が提案したバーター取引にもっちゃんが応じたところまでだ。これだって、そんなことまでベラベラしゃべる人間がこの世にいるはずはないのだが、とにもかくにもこのノートが見つかったことで、もっちゃんが最有力の容疑者となった。

事件以来ずっと兄弟を優しく見守ってきてくれたもっちゃんが犯人だった…。兄弟——とくに稔——が受けた衝撃は大きい。三人で行った銭湯で、津田の記述が正しいことを兄弟は確信する。それがもっちゃんにも伝わった。二人の顔に浮かんだやるせなさとは対照的に、もっちゃんは、やっと肩の荷が降りたとでもいうような柔らかい微笑みを浮かべ涙を流した。

美しいシーンだった。もちろん森山直太朗の「愛々」がジャスト・イン・タイムで流れる。

いやいやいやいや。胸クソ悪すぎるやろ。

10話にわたってその善良さ、優しさ、気弱さを見せられてきたもっちゃんがあの残虐な犯行の犯人だったと言われると——と言うよりむしろ、あの犯行のあと30年以上も兄弟に寄り添うように生きてきたと考えると——生理的に受け入れられないほどの嫌悪感に襲われる。

うまい例が見つからないけれど、たとえば、さっきまで慈愛に満ちた笑顔で我が子に授乳していた母親が、突然、その子をコンクリートの床に叩きつけて殺すのを見るぐらい、受け止めようのない嫌悪感だ。

もちろん、フィクションなんだから誰を殺人犯にしようと勝手だし、“もっとも意外な人物”が犯人となるような事件のカラクリを考え出すのが、ドラマの作り手の腕の見せ所なのかもしれない。しかし、それならそれで、その意外な人物が“殺さざるを得なかった”事情をしっかり描いてもらわないと。

繰り返しになるけれど、あのバーター取引自体が取引として破綻しているし、もっちゃんにあんな残虐な行為ができるとヤクザや悪徳刑事が考えたというのも現実味がない。何よりも、「立ち退き」と「知り合いの一家惨殺」を天秤にかけて後者を選んだもっちゃんの思考の過程が十分に語られていない。これじゃあもっちゃんは生まれついてのモンスターだったと考えるしかなくなる。

倫理の枠を踏み越えるのも勝手だが、やりっぱなしでは困る。

(2)晴子の復讐

もっちゃんは、兄弟と銭湯に行ったあと、自ら命を絶った。その後、兄弟は逃亡していた辛島夫妻を探し出す。諸悪の根源である辛島貞夫を殺すためだ。だがそこで、もっちゃんが両親に包丁を突き刺したとき、二人が身動きせず、声も上げなかったという話を聞く。犯人はもっちゃんで確定と思っていたが、別の可能性もあることに兄弟は気づいた。もっちゃんが包丁で突き刺す前に両親は死んでいたのではないか。

あの晩、両親だけが口にしたものがあった。焼そばにかけた酢だ。←笑っていいですか?

実家に残っていた酢の容器と、当時晴子が着ていた衣服を再検査したところ、両方からジギタリスの成分が検出された。

日本の検査体制では今回も毒物は検出されなかった。そこで稔は検査対象物質が桁違いに多いドイツに飛ぶ。そこで検出されたのがジギタリスだった。

最終回でようやく明らかにされた晴子の関わりは次のようなものだった。最初の二つ以外は津田の取材では視野に入ってこなかった内容だ。

  • 4月13日に、急遽密造銃の運搬役をすることになった朔太郎が取引を阻止する。
  • 中継役をしていた晴子の父(漁船の船長)が急死する。五十嵐組の仕業だった。(なぜ船長を殺すのか意味不明)
  • (たぶん父の死後すぐに)秦野小夜子と接触。復讐するべきだとマインドコントロールされる。ジギタリスという発覚しづらい毒薬のことも遠回しに教示される。
  • 朔太郎と辛島貞夫の会話を立ち聞きした晴子が朔太郎への復讐を決意する。(意味が分からん)
  • 朔太郎を尾行して行動パターンを調査。食べ物に異常な量の酢をかけることを知る。(笑える)
  • 4月26日(事件当日)の日中、誰もいない田鎖家に忍び込み、酢の容器にジギタリスを流し込む。
  • その晩、田鎖家付近をうろうろしていたら、走り出してきた男と遭遇。包丁で切りつけられる。
  • すぐに真が出てきて「誰か助けて」と晴子にすがり、彼女を家に招き入れた。稔が「痛いよ、痛いよ」と泣き叫んでいる。救急車を呼ぼうと台所に入ったとき、とっさに酢の容器の中身を流しに捨てた。奥の部屋に血にまみれた夫妻の遺体が見えた。

深夜に晴子が現場近くにいたのは、自分の過ちに気づいてジギタリスを廃棄するためだったのだろう。すでに田鎖夫妻はそれを摂取済みだったが、そのことに晴子が気づいたのかどうかは分からなかった。そして、すでに書いたようにジギタリスは毒物検査の対象外だったから、警察は気づかず、夫妻の死因は刺殺だと発表した。

だから晴子は、自分の復讐は失敗したと思っていた。

それにしても、晴子が立ち聞きした朔太郎と貞夫の会話が再現されたが、あの聡明な晴子が、それを聞いて朔太郎に殺意を抱くとはとても思えない。ラリってでもいなければそんな勘違いはしないだろう。

もっちゃんの店で朔太郎が料理に酢を大量にかけるのを見たから、そこにジギタリスを混入させようと考えたというのも、コントのネタか何かみたいで晴子には似つかわしくない。プロットとしてお粗末だ。

(3)晴子はアウトでもっちゃんはセーフなのか

だが一番奇妙に感じたのは、ジギタリスですでに死んでいたのなら、犯人はもっちゃんでなく晴子だと稔が考えたことだった。ドイツに飛んだのは、真実を知りたいというより、もっちゃんが犯人ではないと証明したかったからだった。

まぁ、気持ちの問題として分からないでもないが、殺人被害者の子ども——それだけでなく自分も殺される寸前だった——に本当にそんな切り分け方ができるものだろうか?もう死んでいたから何もせずに帰ったというのならともかく、そうとは知らず、警察が致命傷と判断するほど深く何度も突き刺したのに、それはセーフ?

たしかに裁判をすれば晴子のほうが重い刑を受けるだろう。もっちゃんが問われるのは死体損壊罪と銃刀法違反ぐらいのものなのかもしれない。でも、もっちゃんは明確な殺意をもって殺しにきたのだ。晴子がジギタリスを仕込んでいなくて、朔太郎が途中で目覚めて抵抗したとしても刺して刺して刺し続けただろう。なのに、もっちゃんは犯人じゃない?

この感覚がさっぱり分からなかった。

それにしても、法的には殺人罪を問われたはずの晴子——未成年だったから刑は軽いにしろ——は自分の犯行に気づぬまま31年間を過ごし、それより軽い罪しか問われないもっちゃんが「殺したのは自分だ」と思い込み、31年間悔い続けた末にこの世を去ったのだから、考えてみれば皮肉な話だ。

【5】小池と津田

他にも意味不明な点や「そうはならんやろ」という矛盾した設定・展開がいくつもあったんだが、とくに気になったものを二つだけ挙げておく。

小池

31年前の事件の担当刑事で、相棒の笹岡の不正を知りながら黙っていたことを悔やみ、今は田鎖兄弟が復讐に走ることのないように彼らの邪魔をしていたということらしいけど、この理屈、ヘンテコすぎるだろ。たんに怪しい人物を登場させたかったとしか思えない。

津田

最初は田鎖一家殺傷事件の最有力容疑者として登場し、あっという間に死んでしまって驚いたが、最後には事件の真相解明のほとんど唯一の手がかりを提供した最大の貢献者になっていた。

彼は事件後、街から姿を消したとされている。彼自身も身の危険を感じたんだろうから、それは理解できる。だが気になるのは、事件の直後に逃亡したのなら、取材ノートに書かれたことはすべて事件前に知りえたことということになる。

ならば、もっちゃんが引き受けたバーター取引——店の存続と引き換えに田鎖一家を皆殺しにする——のことも事件前に知っていたことになる。ノートに書いてあったんだから。

ということは、事件当日、朔太郎と取材の件で押し問答になったときにそれを伝えようと思えば伝えられたはずだ。人命に関わることなのになぜ伝えなかった?また、情報どおりに殺傷事件が起こったのに、31年間警察に申し出ようともしなかった。死の寸前に辛島家を訪ねて、ゆすろうとしただけだ。最低すぎないか?神なのに。

【6】ラストについて、そして復讐について

(1)ラストをどう見るか

ラストで、晴子は「失敗したと思ってた」と兄弟に言った。「そっか、やっぱり私か」と。ただ、失敗したと思っていたとはいえ、強い罪の意識に苛まれていたのも事実だった。それに耐えきれなくなって兄弟の前から姿を消したが、「でも罪は消えなかった」。そして結局、また街に戻ってきた。

「復讐は成功した。どんな気分だ?」と尋ねた真に、晴子は「私はきっと真と稔に裁かれたかったんだと思う。」と答えた。

稔が密造銃を取り出し、構える。だが撃てない。真が「あとは俺がやる」と言って銃を取り上げ、晴子の額に銃口を向けた。震えながらも引金をひく。←ここは銃と手だけのアップ。銃声。滴る血。

エモいエモいエモい。

真が銃を向けたとき、晴子は「二人に許してもらうには、こうするしかないから」と言って目を閉じた。殺してくれという意味だ。もっちゃんも、本心では二人に殺されたかったのかもしれない。復讐を果たしてほしいと。辛島ふみも似たようなことを言っていた。兄弟が戻ってきたら、彼らのしたいようにさせると。

最終回終了後、巷では結局のところ真は晴子を殺したのかという話題が盛り上がっていた。両方の意見があった。地面に滴り落ちた血が少なかったし、直前に真の腕が動いたようにも見えたから、どこかをかすめただけという見方が多かったような気がする。

もう一度晴子と兄弟のやりとりを見てみたら、あの流れで殺すことはないだろうと思えた。どこかをかすめるような撃ち方をしたということさえ考えづらかった。分からんけど。

つまり、田鎖兄弟は晴子に復讐することはやめたんじゃないかというのが僕の見方だ。

晴子も真も稔も生きている。発砲シーンに続いて蓬田署に入って行った二人も港で釣りをしていた晴子も、一夜明けた実際の彼ら。ただし、大人になった兄弟と31年前の両親が大笑いしながら焼そばを(酢をたっぷりかけて)食べているシーンだけは幻想。31年前のあの事件がなければこんな日が来たはずだという願望。

(2)復讐とは

大事件

田鎖夫妻殺しの真犯人は晴子だった。彼女は自分の父親が殺されたことへの復讐として一家を狙った。誰が見ても筋違いな逆恨みだし、その行動は秦野小夜子によって誤誘導されたものかもしれないが、少なくともあのとき、彼女にとってはそれが自分にできる唯一の父への恩返しだったのだろう。

しかし、この事件は二重の殺人事件だった。二つのまったく別々の犯行が同じ日に実行されたのだ。夫妻は二度、別々の人間によって殺された。晴子が実行していなかったとしても、もっちゃんは変わらず夫妻に包丁を突き刺したはずだ。法的には晴子だけが殺人罪に問われるのかもしれないが、感覚的には同罪と言うべき二人の加害者がいる。

その全容が分かった時、兄弟は——とくに稔は——もっちゃんを許し、晴子だけに復讐しようとした。すでにもっちゃんは自ら命を絶っていたということもあるだろうが、生きていても同じ判断を下したんだと思う。

しかし結局、兄弟は晴子にも復讐を果たすことはできなかった。(たぶん)
31年間追い続けた真犯人を二人は許したのである。復讐は遂行されることなく終了した。晴子の復讐は連鎖しなかった。

小事件

改めて各事件を概観しておく。

  1. 自殺した息子を追い詰めたのは水泳部のコーチだと思った父親が、そのコーチを殺害。しかし、後に息子は自殺ではなかった可能性が高いと分かった。
      ▶︎復讐不成立(無効化)=お門違い殺人
  2. (復讐ではない)←はっきり言って内容をほぼ忘れてしまった。
  3. 息子が受験に落ちたのは採点ミスがあったからだと考えた母親が、そのミスを隠蔽したと噂される大学理事長を殺害。しかし、ミスがなくても息子は不合格だった。  ▶︎復讐不成立(無効化)=お門違い殺人
  4. 妻を車ではねて死なせた女を夫が殺害。その事故の責任は100%妻のほうにあるとされていたにもかかわらず。
      ▶︎逆恨み
  5. 4で殺された女の恋人が加害者である夫を殺害。
      ▶︎復讐の連鎖

秦野小夜子が誘導したのは3、4、5件目。1件目も関与した可能性はあるが、殺害方法が場当たり的で稚拙なのでたぶん違う。

こうして全体を見ると、復讐にならなかった無意味な殺人と、復讐には違いないが次の復讐を呼び起こすだけの不毛な殺人ばかりだ。無意味な殺人や理不尽な逆恨みはまた新たな復讐劇を生む可能性がある。

秦野小夜子が言うように、犯罪被害者遺族の悲しみはあまりに大きく、彼らから見れば、加害者が受ける法の裁きがそれに見合うことはぜったいにないのだろう。そう考えると、遺族による復讐殺人のハードルはかなり低い。秦野はそこに付け入ったのである。

痛快な復讐は一つも描かれなかった

一つ言えることは、このドラマはカタルシスを感じるような痛快な復讐を一つも描かなかったということだ。大事件は二人の男が人生のすべてを注ぎ込みながらも断念した(と僕には思えた)復讐の話だし、小事件はいずれもどこかに大きな欠落のある歪な犯罪だった。はっきり描かれたわけではないが、おそらくすべての実行犯は正気に返ったあと後悔しているはずだ。

そして、このドラマは最後の最後まで勧善懲悪的なトーンを徹底的に排除していた。僕があちこちで引っかかりを感じたのは、このことも影響していたのでは、と思う。ちゃんと否定しろよという思いを持って見ているのに、うむを言わせぬエモーショナルな演出で目眩しされ、復讐をどのようなものとして描こうとしているのか一向に見えてこなかったからだ。

だが、ハッピーエンドの復讐を一つも描かなかったことが、作り手たちのスタンスを表しているのだろうと今は思う。

なぜ面白くなかったドラマについてこんなに膨大な時間を費やして書き連ねているのか自分でも不思議だったが、ここに辿り着いたことで満足することにしよう。雑なところが多いことに変わりはないし、今も一流のドラマとは思わないが、いくつかの定石を回避するために選択せざるを得なかったものもあるのかもしれない。分からんけど。

疲れた。

2026年7月6日

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