お気軽な話

認知症の父と最後まで一緒に楽しめたのは、相撲だったな。

相撲中継が救世主のように思えた…認知症の父との時間

相撲にはほとんど関心がなかった。誰が横綱かとか誰が優勝したかぐらいは知っていたけれど、それもすべてニュースで得る知識ばかり。仕事が休みの日でも相撲中継を見ることはまずなかった。そんな僕が相撲を見るようになったのは、父が認知症になってからだ。せいぜい10年かそこら前の話。だが父の症状が進んでくると、相撲中継は実にありがたい存在になった。

もともと男二人で話すことなどそれほどないのに、症状が進むにつれて父の口はますます重くなっていった。たぶん耳が遠かったことも影響したのだろうが、テレビを点けてもあまり興味を示さなくなり、そうなるといっしょにいても時間を持て余すことが多くなる。だが相撲中継だけは別だった。飽きずに見ているので、僕はそれに付き合うだけでいい。だから気が楽だった。場所中は午後3時から6時までの3時間は気を遣わなくても間を持たせることができる。そう思うだけで、何をしていても(つまりいっしょにいない時も)軽やかな気分でいられた。

単純だから(?)

裸の大男がぶつかり合って、どちらかが転ぶか土俵を割れば勝負が決まる−−−単純なうえに短時間で勝敗が決するから、父なりに理解できたのだと思う。解説が聞こえなくても、四股名や決まり手を覚えていなくても、迫力ある一瞬の格闘技は十分に楽しむことができた。父はだんだん何に対しても集中力が続かなくなっていったが、相撲中継だけは長時間見ていられた。

仕切りの間は「この人は大きいねえ」とか「この人はお腹が出てるねえ」などと、子どもを相手に言うようなことを父に話しかけた。勝負が始まったら「おー」(感心・驚き)とか「あー」(悲鳴)などと言いながら行方を見守る。豪快な技が決まると「ウオー」と感嘆する。まあ、ほとんど僕が一人で騒いで、父はせいぜい小さく笑みを浮かべて「うん」と言ったり頷いたりするだけだったが。そうやって和やかな二人の時間が流れていった。

父が死んでからも相撲中継はよく見る。価格の安い、天井に近い椅子席だけど会場に足を運んだこともある。父と見ていたときとはずいぶん見方も変わり、詳しくもなって、自分なりの楽しみ方をするようになった。だから今は相撲をただ「単純な」だけのスポーツだとは思わない。

でも、「単純な」楽しみ方もできるスポーツであってくれて良かったと思う。

異形の力士二人が土俵に上がる。立ち会いの迫力あるぶつかり合い、突っ張りや組み手争い、一気の押しや豪快な投げ技。そして1分もかからずに勝負が決まる。その繰り返し。代わり映えしないと言えばそれまでだが、もしかしたら父は前の一番のことさえ覚えていなかったのかもしれない。でもとにかく飽きることなく見続けていた。楽しんでいた。

 

野球やサッカーだとこうはいかない。一瞬一瞬はそれこそ個々の勝負の連続なのだろうが、もっと微妙で複雑で、一目では分かりにくいから。

今思えば…

今でもときどき父と二人で相撲中継を見ていた頃を思い出す。押し出しと寄り切りの違いもよく知らないままに父の表情をうかがいながら見ていた頃のこと。そして和やかな気分になる。今思えば、それほど仲の良い親子とは言えなかった我々二人にとって、あのひとときは、もっとも親子らしく過ごせた時間だったのかもしれない。