マジメな話

松尾匡『この経済政策が民主主義を救う』

松尾匡氏の『この経済政策が民主主義を救う』という本を読んだ。経済の本などまともに読んだことがなかったので学ぶことが本当に多かったのだが、一番驚いたのは、世界中の経済学者がケインズを読み間違えていたという話だった。

以下、門外漢のたわごとですが。

ケインズの登場

ケインズもマルクスも、そしてもちろんアダム・スミスも読んだことがないのだけれど、まあ、この三人は経済学に縁のなかった人でも知っている、その筋のビッグ3と言っていいのではないかと思う。

僕が大学に入った頃(40年も前!)は、日本の経済学界は“マルクス経済学”と“近代経済学”という二つの勢力が拮抗していたという記憶がある。で、近代経済学というのはほとんどケインズ経済学と言ってよかったはずだ。ケインズとは、経済学の世界ではそれほどのビッグネームだった。

ジョン・メイナード・ケインズの主著は『雇用、利子および貨幣の一般理論』(通称『一般理論』)。この本が出版されたのは1936年だった。

それまでの経済学では、市場に任せておけば、価格メカニズムが働いて自動的に需要と供給が均衡するとされていたが、それじゃ駄目でしょ、とケインズは言ったのだ。実際、1929年に世界大恐慌が起こると、世界経済は何年経ってもそこから立ち直ることができなかった。自動的に均衡するはずの需給はいつまでも破綻したままで、町には失業者があふれ続けた。

ケインズは、新古典派経済学を批判し、資本主義経済では、民間の自由に任せておいたのでは、総需要が不足して、大量の失業が残ったまま経済が落ち着いてしまうことが起こりうると主張しました。このような事態は、「不完全雇用均衡」と呼ばれます。

ケインズは、この不完全雇用均衡から抜け出して、働きたい人がみんな雇われる完全雇用を実現するには、政府が積極的に介入して総需要を拡大させなければならないと言いました。具体的には、中央銀行がおカネをたくさん発行する金融緩和政策や、政府が支出をたくさんして財やサービスを買ってやる財政拡大政策を唱えたのです。(P.159〜160)

『一般理論』に先だってアメリカでは有名なニューディール政策が実施され、景気が回復していった。考え方はケインズと同じである。そして第二次世界大戦後、ケインズの理論は後継者たちによって体系化され、経済学の主流派となっていった。60年代は彼らの黄金時代と言っていいかもしれない。日本はアメリカと違ってマルクス経済学が支配的だったが、近代経済学が少しずつ勢力を増していったのはすでに触れた通りだ。

「スタグフレーション」と「新しい古典派」

ところが1970年代になると、それまでのようにケインズの理論が通用しなくなる。世界中でインフレが進行し、経済成長もしないし失業者も減らないという状態が続いた。ケインズ理論に則り各国で財政支出が試みられたが、景気は一向に回復せず、インフレだけがひどくなっていった。僕もはっきりと覚えているが、この“不況下のインフレ”は「スタグフレーション」と呼ばれ、かなり深刻に受けとめられていた。

こうしてケインズ理論は一気に人気を失う。替わって再び新古典派経済学が盛り返し、これが「新しい古典派」と呼ばれ、1980年代から90年代までの世界の経済学に君臨したのである。

この古くて新しい理論のもとで世界中で進められたのが、「新自由主義」政策だった。「すなわち、民営化、規制緩和して、財政支出は削減して『小さな政府』をめざそう。労働組合を弱体化させ、雇用を流動化させよう。金融引き締めでインフレを抑えよう」(P.162)とする施策である。

ケインジアンvs.新しい古典派の論争

新しい古典派は、ケインジアンの次のような主張に食ってかかったらしい。

<ケインジアン>
不完全雇用均衡が起こるのは「物価や賃金が下がりにくいから」である。スムーズに下がれば需給は均衡するが、そうならないから不況が解消しない。

敵に塩を送ったわけではないだろうが、結果的にこれが新しい古典派を勢いづかせることになった。

<新しい古典派>
物価や賃金が下がりにくいのは自然現象ではなく、余計な規制や、労組による競争の妨害があるからだ。こうした障害をなくし、自由競争を実現させれば需給は均衡する。

ケインズ理論の効果が薄れていた時期だから、こう言われるとなかなか説得力のある反論は出てこない。で、サッチャーやレーガンといった新自由主義者たちが登場し、片っ端から規制緩和を進めていったというわけだ。

誤 読

1990年代、バブル崩壊後の日本は、デフレ、すなわち継続的な物価下落を経験する。先進国で戦後初めてのことだった。物価も賃金も「下がりにくい」などということはまったくなく、なんのためらいもなく下がっていった。しかし、いつまでたっても均衡は訪れなかった。ますます不況はひどくなり、モノは余り、失業者も増えた。

そこでケインズが読み返されました。すると、賃金が下がらないせいで失業が生じるなんて、言っていないではありませんか。むしろ、賃金がスムーズに下がるとますます事態が悪化するので、下がらないほうが世の中安定してよろしい、と言っているのです。(P.166)

え?

新しい古典派との論戦に敗れたのは、そこなのに。そこを読み間違っていたわけ?
80年代、90年代の——そして今も続く——あの「新自由主義」は何だったのかという話になるんだけど。

ケインズの真意 「流動性のわな」

不完全雇用均衡が起こるのは「流動性選好」のためだと、ケインズは当初から指摘していたらしい。流動性とは、いつでも何にでも替えられるお金のことで、要するに人はお金を好むということだ。お金が手に入っても、なかなか消費には回さず保有しようとする。お金があっても使わなければ景気は回復しない。景気が上向かなければ雇用も回復しない。「流動性のわな」と呼ばれる悪循環が起こるのである。

モノは売れず、失業者も増えるから、物価も賃金も下がる。デフレだ。そうなると、ますますお金を使う気にならない。そのまま持っておけば、やがて物価が下がり、もっと良いモノが買えるのだから、まあ当然の心理だろう。デフレがデフレを呼ぶというか、デフレがさらにデフレを強固なものにするのだ。経営者は設備投資を先延ばしする。来年に延ばせば投資額が安くなるのだから、これも当然の判断だろう。だから新規雇用も先延ばしになる。

デフレに入り込んでしまうと無限ループのようにそこから抜け出せなくなる。

人々がデフレが続くと考えている限りデフレから脱することはできない。それを打破するには、人々にインフレを信じさせるしか方法はないのだ。インフレになればモノの値段が上がるのだから、今1万円で買えるモノが来年はもっと高くなっている。つまり、1万円の価値が目減りするということだ。ということは、今買うほうが得になる。お金を貯め込んでいても損をするだけになる。

ここから出てきたのが「インフレ目標」政策だ。政府が公式に「●%」というインフレ目標を宣言し、それを達成するまで金融緩和と財政投資を続ける。そうやってお金の流通量を増やせば、お金の相対的価値が落ち、インフレになる。インフレになれば、「流動性選好」で貯め込まれていたお金が消費に回されるようになる。

「インフレ目標」という言葉を使ったのはアメリカのポール・クルーグマンが最初らしいが、ほぼ同様のことをケインズは『一般理論』の中で言っていたというのだ。弟子たちが作った経済学の教科書にも載っていたらしい。なのに、弟子たちは「そんなわけはないだろう」と思っていたと。(P.167〜172)

新自由主義者を駆逐してほしかった

いや、勘弁してほしい。
弟子たちがはじめから師匠の言うことを信じていれば、人を人とも思わない新自由主義者が跋扈することもなかったのに。

ケインズ理論が権威を失った70年代は、デフレではなくインフレの時代だったから、たとえケインズの真意が正しく継承されていたとしても、状況は変わらなかったかもしれない。新しい古典派は、とにかく政府による経済への介入をやめさせ、自由市場に近づけることしか考えていないのだから、何が起きてもケインジアンに文句をつけていただろう。

それはそれとして僕が驚いたのは、世界のおそらく何万人もの経済学者が専門家として熟読したであろう『一般理論』でさえ、こんなふうに誤読されるんだあということだ。いや、正しくは誤読していたわけでさえなくて、学生向けの教科書で説明までしているのに、論敵から突っ込まれてもまったく思い出せないほどに軽んじていたということだ。素人が読み落としたり勘違いするのとはわけが違うのだ。研究者をバカにするとか、そういう意味では全然なくて、もっと単純に、こんなことがあるんだなあと。

人は誰しも自分が読みたいようにしか読まない、ということだろうか。
それとも学問の世界では珍しくもないことなのか。
いや、でも、そこは頑張って新自由主義者を駆逐してほしかったんだけど。

マルクスの著作なんて、『資本論』だけでももっと分量があるから、こんな話がいくらでも出てくるのかもしれない。「史的唯物論」なんてマルクスは一言も言ってなかったとか言わんよね。(そりゃ、ないか。)